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薫の野郎猫的日常
2018年06月14日 (木) | 編集 |
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★RAD野田「HINOMARU」歌詞について謝罪 「軍歌だという意図は1ミリもない」(エキサイトミュージック) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180611-00000009-exmusic-musi @YahooNewsTopics
★​RADWIMPS「HINOMARU」について|武田砂鉄 @takedasatetsu |ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜 https://cakes.mu/posts/21214
★RADWIMPSの『HINOMARU』が「愛国的だ!」と批判 いったい誰に謝罪しているのか (文◎久田将義) http://tablo.jp/culture/news003407.html
★RADWIMPS衝撃の愛国ソング「HINOMARU」を徹底解剖する http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56060 #現代ビジネス

ネット世界で喧々諤々。
軍歌だ、愛国歌だというものから、廃版にせよ、二度と歌うな(歌わせない)、
終いにはネットから飛び出しRADのコンサート会場前に集まるとか言い出す輩まで。
右だ左だ…。

イデオロギー論にまで発展してるけど、個人的にはそういう小難しい話じゃなくて、
単純に「結局、何を言いたいの?」ってこと。

私的には野田さんが表現したい世界と歌詞がちぐはぐに思えてストンと落ちない&メロディが単調すぎて曲半ばで飽きちゃった(笑)だからと言って「廃版にせよ」とか「二度と歌うな」とか思わないし、彼らのコンサート会場の前でデモに参加したりとかもしない。

ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」同様、メロディラインも歌詞も何が言いたいのかよくわからず、いいとも思えない。つまり、単純に「好みじゃない」だけ。

はっきり言ってRADよりサカナクション&山口一郎の変態っぷりが好き♪

この騒動を受けて野田洋次郎さんがtwitterでコメントを発表しました。
① 
② 
③ 
④ 

ん~~~~。
不快な思いをしたわけじゃないのよ。
別に傷ついてもいないのよ。
謝っても欲しくないのよ。

私の思うことは↑の武田砂鉄氏久田将義氏とほぼ同じ。

野田さんのtwitterでのコメントを読んであの歌詞を読み返してもストンと落ちないだけなの。本当にコメント通りの気持ちであの歌作ったのかなぁ。もしそうだとしたら「国語」「古文」「漢文」の教え方や定義が以前の私たちの頃とかなり異なっていると思わざるを得ません。

野田さん、先の福岡公演でHINOMARUを披露後に「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」と絶叫された由。今回の騒ぎで野田さんが引っかかってるのって、そこ?この歌に関するあらゆる批判の中で、自国愛を否定されてるのが一番嫌だってこと?ステージ上で、大勢のファンの前で絶叫するくらいだから、そこが一番訴えたいことなんだろうなぁ…ふ~~~~む。

だとしたら、やっぱり、いや余計に、ちぐはぐ。

同じ愛国歌なら「花は咲く」の方が私はグッとくるよ。

花は咲く

作曲:菅野よう子
作詞︰岩井俊二

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す

叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す

誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために

同じ単調なメロディラインであっても、別に古い言葉を使わずとも、優しい日本語を駆使した「花は咲く」は深く心に響くし、そのままストンと心に落ちるし、一緒に歌おうと思える。どこにも構えがなく、強張りもなく、まるで嵐に身を任せる柳のごとくしなやか。国旗を出さずとも生きとし生けるもの、人だけじゃなく自然までひっくるめたこの国への愛と未来への希望を感じます。それこそ、はじめは大震災からの復興を応援する歌だったけど、今じゃその枠を越えて、もっと大きくて広大な世界感まで託せる歌へと進化してるんじゃないでしょうかね?後の世に歌い継がれる名曲だと思います。

あまりこれ言いたくないけど、もしかして野田さんが海外生活長いから、日本語に「変換」した時の思いと言語表現がちぐはぐなだけ?と思ってしまう。

でも、この国で生まれ育った人たちにも野田さんの思いを十分に理解されている方々が大勢いらっしゃるんだから、生まれ育ちのせいにするのはおかしいよね?

私はもちろん戦争を知らない子供たちではあるけど、終戦から10年くらいしかたってない時期で、周囲には人間にも社会にも環境にも、まだまだ戦争のにおいが色濃く残っている時代に育ったから、野田さんがこの歌のために使っている言葉の数々に対して、今の若い世代とは違った感性があるのかなぁ、今の世代より敏感なのかなぁ、とも思うし。

所謂ジェネレーション・ギャップ?

野田さんの世代と私の世代の違いっていったい何?って首傾げるほど「言葉の意味」が野田さんのコメントと私が受けるこの歌の歌詞の意味が、あまりにもちぐはぐなだけなんです。

言葉は日々進化し、変化するものだから、若い世代の言葉を使って表現するものが私たちの世代には通じにくくなりつつあるのかもしれない。が、野田さんがHINOMARUで使っているのはどちらかというと私たちの世代に近い時代の言葉。海外の人やこの国の若い世代にはそれがとっても新鮮でかっこよい響きに感じるのかもしれないけど、ひとたび使い方を間違うと今回のような摩擦を生みやすいです。だって野田さんが使ってる言葉って戦争体験者とその周辺の世代にとっては、野田さんが思ってらっしゃるイメージと全く異なった意味を持つ言葉なのですから。そこいら辺のビミョーな襞まで理解された上で使っている言葉たちなのかな?私にはそうは思えない。でなければ↑のようなコメントにはならないと思うから。

それにしても、コンサート会場に押し寄せるのもアレだけど、単に個人的な感想を話しただけで、好きとか嫌いとか言っただけで、「表現の自由を奪う行為」とか「弾圧」とか「圧力」とか、極端な反応が返ってきて大騒ぎになるのも怖すぎる。

だいたい、表現の自由というのは、それを使った後に見も知らぬ誰かの表現の自由によってボッコボコにされる可能性を常にはらんでいるっていうこと。他の人の批判を言論封殺、圧力と捉えるのは表現の自由ではないですよ。

そういえば昨夜なんかのTVで極右政党が「フーリガン」を政治利用するシステムを解説してたな。党利党略のため彼らの熱烈な愛国心をうまく利用&コントロールする様。チケット入手困難な世界的試合やイベントに優先的にチケットを渡して徐々に党の親衛隊に組み入れていく。この国の現政権でもよく見られること。直接的な声掛けだけじゃなく、大手代理店や親政権与党のTV局やマスコミを通しての五輪や世界的な一大イベントへのタイアップや甘い言葉や賞与には気をつけろ。

どっちにせよ、どんどん住みにくい世の中になりつつあるなぁって気がしてなりません。


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