薫の野郎猫的日常
2017年01月16日 (月) | 編集 |
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余命あとわずか。愛犬最期の散歩を最高の思い出にするためにSNSに投稿したら、素晴らしいサプライズが待っていた。 http://karapaia.com/archives/52228683.html @karapaiaさんから


今朝偶然に観てしまって思い切り大泣きした「とくダネ」SNS特集。
その中の1エピソードが、これ。

重病の犬を安楽死させると決断した飼い主が、安楽死を実行する日の朝、ともに散歩してくれる人たちをfacebookで募ったところ、全世界から「そちらには行けないけど同じ時間に愛犬と一緒にあなた方を思います」とメッセージが届き、現地にも300人超もの人と犬達が集まり散歩した、というエピソード。


私もこれまで何頭もの猫を看取ってきましたが、そのほとんどが天寿を全うした老猫。でも、6歳でFIPドライタイプになった染五郎と、10歳で終末期の腎結石で腎臓機能停止した寿三郎だけは、主治医から「すぐ安楽死を希望する飼い主さんが多い中、あなたはここまで頑張ってくれたので、これから先、もし安楽死を望むのであれば病院に連れてきてください。あなたの胸の中で眠るように旅立つようにします。夜間休日、真夜中でもいいから仰ってください。」と言われたのですが、私にはそうする勇気も覚悟もなんにもなかった。安楽死を否定することも拒否することもないけれど、私には決断なんかでません。


きっと熊本時代
のこれでもかというくらいにたくさんの辛い経験から、子供心に「もし私が自分の稼ぎで動物と暮らせるようになったら、その時こそ最期まで世話をする」と固く心に決めたから、「人為的」な別れ方が嫌でたまらないし。

だから、染もジュサ坊も私はやっぱり最期の看取りまで一緒にいることを選び、実行しました。相手も体がどんなに辛くても、最期まで甘えて、ぴったりと体を寄せ、膝に顎を載せ目を閉じて最期の時を待っていましたし。

だからといって今朝のあの映像が不快に思えることはありません。これこそ最後の飼い主のエゴです。私の見送り方だってエゴです。安楽死だって,最期まで頑張ってもらって看取るのだって、どっちも究極の飼い主のエゴでしかないですよ。でも、私は、最期の別れこそ第三者の入る隙間なぞ1ミリもない、飼い主としっぽ家族が選んだことがベストチョイスだと信じます。

番組で伝えていた犬も、300人もの支援者と犬達との素晴らしい最後の散歩を済ませたあと、その足で病院へ行き、飼い主の胸に抱かれて眠るように旅立ちました。その子の寝顔は素晴らしく穏やかで笑ってましたもの。きっと幸せだったのでしょう。

私にはできないけど…染やジュサ坊のことを思い出して涙が止まりませんでした。その涙がいったいどんな涙だったのか…わかりません。


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