薫の野郎猫的日常
2016年11月15日 (火) | 編集 |

❤告別式以降、当時80歳だった平幹二朗が朝田龍太郎の恩師の天才医師、桜井修三を演じ、平岳大がその若い頃を演じている「医龍4」を何度も繰り返し観ている。役設定は一回り下の68歳。一言一句が全く澱みなく、そして、一言として聴き辛い箇所がない相変わらず見事な滑舌!!堂々としているが茶目っ気たっぷりなチャーミングな笑顔のイケメンドクター、ヒラミキさんがそこにいる。


Listening

<記者の目>俳優・平幹二朗さんの残した言葉=濱田元子(東京学芸部)

「王女メディア」でメディアを演じる平幹二朗さん=東京・グローブ座で1月、カメラマンの石郷友二氏撮影

「何かを赦さないと」

 圧巻の演技であった。ニコラス・ライト作の「クレシダ」(森新太郎演出)。舞台は17世紀のロンドンの劇場、82歳の平幹二朗さんはかつて女性を演じる少年俳優で、今は演技指導者という役。膨大なせりふをしゃべり、立ち回りをし、劇中引用されるシェークスピアのせりふを、少しも衰えぬ美声で、音楽を奏でるかのように劇場に響かせていた。9月5日、東京のシアタートラムでのことだった。

 そして、10月23日夜に飛び込んできた死去の知らせ。「まさか」という言葉が頭の中でぐるぐる回った。

新境地挑み続け、役の幅を広げて

 演劇担当として舞台や取材で平さんと接するようになって約10年。長身で端正な容姿が放つオーラはもちろんのこと、武器である「もの言う術」にいつも圧倒された。今年8月、「クレシダ」稽古(けいこ)中のインタビューでは「外見も中身も変わる分、言葉に託すいろいろな可能性がある。声が衰えない限りは可能性をいっぱい探せるので、そこにしがみついて、もがき続けて死にたい」と語っていた。言いしれぬ喪失感。けれど、最期まで観客を酔わせたというのは、いかにも平さんらしい気もする。

 1956年に初舞台。芸歴60年で約170本の舞台に立った。ギリシャ悲劇やシェークスピア劇といった西洋古典劇で大きな運命を背負う重厚な役に、その朗唱術がさえた。そこには普遍的な人間の喜び、悲しみがあった。俳優座を経て、劇団四季の浅利慶太演出による「ハムレット」「ヴェニスの商人」、蜷川幸雄演出では「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」、主宰する「幹の会」では「オセロー」「冬のライオン」など。ほとんどで主役を演じ、いずれも日本の現代演劇史に刻まれる舞台である。

 一方、取材で接してきた平さんは老境に差しかかってはいたが、確固たる地位に甘んじることなく、次々と新境地に挑み、役の幅を広げていた。インタビューはサービス精神と愛嬌(あいきょう)にあふれていた。

 「昔から固定したイメージを崩すのが好きなんです」

 「芝居をやっていく時間が少ないので、オファーがあれば何でも出るという生き方をしています」

 「いっぱいせりふがあると、覚えられるか挑戦しようって思うし、せりふが少ないと、楽でいいなあ、だからやろうと思う」

 主役、脇役を問わず名優が真摯(しんし)に、しなやかに役と向き合う姿に、我が身の怠惰を叱咤(しった)される思いがした。

 市井の日本人を初めて演じたのが2011年の「エレジー」(清水邦夫作、西川信広演出)というのも、大役ばかり演じてきた平さんらしい。翌年の「こんばんは、父さん」(永井愛作・演出)では、闇金に追われるかつての旋盤工の役。平さんがセリフを発すると、日本社会の浮沈の歴史までが浮かび上がった。

「王女メディア」38年演じた思い

 代表作を尋ねたことがある。その時は「次が代表作です」とチャプリンをまねた、ちゃめっ気たっぷりな答えが返ってきた。あえて挙げれば、78年から38年間、断続的に演じてきたギリシャ悲劇「王女メディア」は間違いなくその一つだろう。夫イアーソンに裏切られたコルキスの王女メディアが復讐を決意する。紀元前431年に初演されたエウリピデスの作品だ。

 メディアを演じる平さんの異形の女形は、83年にイタリア、ギリシャで蜷川が初の海外進出を果たし、海外での名声を高めるきっかけになった。

 「自分の中で終止符を打てず」2012年に高瀬久男演出、15~16年に高瀬・田尾下哲演出で演じ納めた。その最後の全国公演中、昨年12月に富山県の公演先で取材した。

 地の底から湧き上がるメディアの嘆き、怒り、愛。苛烈な舞台を終え、メディアの化粧を落とした平さんはボーダーのカットソーにジャケットという姿。若々しかった。

 「これまでもこの作品でエウリピデスが何を訴えたいのか、ずっと考えながら演じてきましたが、メディアがあまりにも激しすぎるので、いつも答えがないんです」。舞台と同じ、あの深い抑揚のある声でゆったりと語り出した。

 「だけど今年ふと、世界情勢を見渡して、エウリピデスが言いたかったかどうかは分からないけど、僕は『赦(ゆる)し』がテーマじゃないかと感じた。国と国との関係もそうですけど、人間はどこかで何かを赦さないと、こういう悲劇を生んでしまう」

 ギリシャ劇の時代もシェークスピアの時代も、人間は何一つ変わらず、愚かな過ちを繰り返す。

 どこかで何かを赦さないと--。平さんの「38年間の心の旅路の終着の姿」が、問いかけてくる。 


※Listening:<記者の目>俳優・平幹二朗さんの残した言葉=濱田元子(東京学芸部) - 毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20161115/org/00m/040/005000c より転載。





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