薫の野郎猫的日常
2016年10月15日 (土) | 編集 |
全身癌の樹木希林のナレーションが淡々としてて好いのです。

福島県広野町
高野病院 高野英男院長81歳
高野医師81歳  

震災が起きるまで6つの病院があった。
が、
震災後、
近隣でただひとつ開業している病院。

震災と原発で全村避難した広野町の中で唯一避難しなかった。

「当時は非難轟轟だったけど、医師として考えたとき、
あそこで患者を避難させたら必ず死人が出るから。
だから残った」

「10年。あの震災から5年経ったから、あと5年。
10年経ってここが元に戻るかどうか。」

医者の不養生。

不眠不休。

たばこを吸う。

今年になって足に来た。

体が言うことを聞かなくなってきた。

ふらつく。

椅子に座ろうとして転倒。

革張りの大き目の回転椅子。

いくらなんでもあの椅子はもうまずいだろう。

恐らく昨年までは何の問題もなく座れていたのだろうけど。

体の自由が利かなくなった親を預ける避難家族。

「今までいくつもの病院に移った。
普通3か月で追い出されるけど、
ここだけだよ、何年もいられるのは」

今問題になっている神奈川の大口病院もこのタイプ。
昔は多く存在していた所謂「老人病院」。

元気になって退院する人もいるが、
ここで亡くなる人も少なくはない。

認知症や徘徊老人もいる。
寝たきりの人もいる。
101歳の人もいる。

高野病院は高齢者の最後の砦。

そして今は原発関連の人々が運ばれてくる。
スズメバチに刺された、
除染作業終了後、帰宅し入浴しようとして熱中症で倒れた等。

原発事故のため病院職員のドクターや看護師がどんどん辞めて、
常勤医師は81歳の高野院長のみ。
あとは非常勤ドクターでシフトを回していく。
常勤看護師も足りているとは言えない。

なのに、県は見て見ぬふり。
「ネグレクト」だと高野院長の娘の医療事務長が苦笑する。

こんな状態なのに帰還者を募る県。
町に必要なショッピングセンターや医療が不足している。
だから帰りたくても帰れない。
悪循環。

高野医師が倒れてしまったらこの病院はどうなるのか。

そんな不安やジレンマももちろん感じさせるけど、
私はそれよりなにより、
この老医師の心意気というか、
「体は死すとも魂死なず」を地で行くこの医師の覚悟を感じ、
清涼感というか清々しささえ感じてしまった次第。

老いてはいても眼が少年のようだ。
患者や医療を語る姿はれっきとした現役の臨床医。

こんな医者のいる病院で最期の時を刻む患者たちは幸せだ。



【ETV特集】
「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」
(Eテレ・2016/10/8放送の再放送10/15視聴)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

【あらすじ】

・毎朝6時半きっかり。ログハウスから出てきた男性が向かう先は隣にある病院。高野英男さん(81)は、この病院の院長で今も100人の入院患者を診て回る。お相手は平均84歳、みんな長い付き合いだ。
・高野病院を取り巻く環境を大きく変えたのは、5年前の原発事故だった。病院は原発から南に22kmの場所、双葉郡広野町にある。ここが、この地域で診療を続けるただ一つの病院となった。
・他の病院が休止しているため、救急車が次から次へとやって来るようになった。復興作業に携わる「新たな住民」、居場所を失ったお年寄り、病院はその最後の砦だ。
災害後ここに残って、双葉地域の医療を実際的にやっているのはここだけでしょ。総合的に診られるっていうのは私しかいないですから(高野病院の高野英男院長)
・この5年半、一人踏ん張ってきた老医師。その日々を見つめる。

<福島第一原発のある双葉郡で唯一診察を続けている病院>
・36年前に広野町に根を下ろし診療を行っている高野院長。専門は精神科だが、地域の人たちのあらゆる声に応えてきた。今も注射やレントゲン撮影を自ら行う。馴染みの患者さん、痛みも苦しみも知っている。
ここの外来は昔からの農村ですから、肩とか膝とか腰とかペインクリニック(痛みの緩和)みたいなの多いんですよ。だから本当に何でもやるようになってしまうわけですね(高野院長)
・院長がいつも座る席、後ろに何か書いてある。
これ災害が起きた日です。なんとなく消さないで、そのままです。ちょっと惜しいような、消すのはですね(同上)
・思えば、あの日から何もかも一変した。事故によって原発周辺の町に避難の指示が出された。その中でいち早く戻ってきたのが病院のある広野町だった。続いて少しずつ避難指示は解除されていったが、双葉郡に6つあった病院のうち5つが今も閉鎖されたままだ(20床以上の医療機関)。高野病院だけが診察を続けてきた。
・「復興の前線基地」と呼ばれる広野町。早朝、原発に向かう国道は出勤する作業員の車で埋め尽くされる。この地域で除染などを行う作業員は約2万6000人。広野町で暮らす作業員の数は住民を上回っている。作業員が急増した町で、高野病院はこれまでにない対応に追われている。
・原発事故前まで殆ど受け入れていなかった救急搬送、今は院長を支える非常勤の医師を中心に対応している。作業員宿舎から来た2人の男性、大事には至らなかった。
・隣町の宿舎で嘔吐して倒れたという作業員、熱中症だった。炎天下、マスクをつけて長時間働いていた。症状が重いことから双葉郡の外にある大きな病院に転送することになった。
・住民の方々も深刻な体調不良を訴えている。環境の変化によるストレスが心と体をむしばんでいた。避難生活を続けてきた男性、物忘れがひどくなっていることに不安を感じていた。震災後、脳梗塞やうつに苦しむ住民が増えているそうだ。
・避難生活に耐え切れなくなった人たちもいる。他の病院が休止しているため請け負うことになった死体の検案。死因の半数が自殺。立ち入りが制限される自宅に戻り、命を絶つ人が後を絶たない。震災と原発事故が影響したとみられる自殺。その数は福島県で85人に上る。
完全に自分が大事にしたものがなくなる。いわゆる私らの言葉で言えば“喪失体験”というんですけども、それが自殺の引き金になって、それで不幸にして死なれると。辛いですよ、本当に(同上)

<81歳の院長、盆も正月もなく働いてきた>
・毎週水曜日は院長が入院患者を診て回る日。早朝、91歳の入院患者が院長を待ち構えていた。
今日水曜日だから必ず朝、オロナミンCドリンクと煎餅1枚賄賂に持ってくるんです。今の時間、欠かしたことないんです(高野院長)
先生にご苦労ってやっているわけ。どうしてって聞かれても、これはね私の気持ちだから(入院患者の女性)
・回診の時間。この夏、内科に60人、精神科に48人が入院していた。他の病院が休止しているため、いつもいっぱい。患者さんに比べれば院長はまだまだ若いはず。
・原発事故後、最も必要とされているのが、こうした入院患者の受け入れだという。
あの地震のときが行くところなくて、あっち行ってこっち行って、よその病院は3か月で追い出されるから。ここだけだよ、何年もいれるの(入院患者)
なんせ私らは幸せです。先生が優しいから、みんな優しくなれるんだね(別の入院患者)
・優しい先生はこの5年、盆も正月もなく働いてきた。
あくまでも相手があるから、臨床医としての仕事をしていると、それだけのことじゃないですかね。やっぱり人が好きなんですよ。専門は何かと言われると本来は精神科医ですけども、いろんなことを勉強してきましたから、いわゆるヒト科です。人間(高野院長)

<患者に寄り添うことを理念に長間続けてきた病院>
・病院の歴史は36年前に始まる。医療空白地だったこの地域を支えたいという思いからだった。目指したのは、地域の人たちに必要とされる病院。何よりも患者に寄り添うことを理念に掲げていた。
・未曽有の大災害に襲われた5年前、「患者に寄り添う」というその理念が問われることになった。全町避難を呼びかけた広野町、町から人が居なくなった。このとき入院患者101名を避難させるか留まらせるか、難しい判断を迫られた。
・当時の状況を記録したメモ。県の医療チームや警察などから患者を全員避難させるように何度も迫られた。しかし院長は患者たちの容体を見て、病院に留まるという判断を変えなかった。
いったん自分が診ている患者さんたちが、たとえば搬送によって容体が変わると、あるいは亡くなられるかもしれない。そういう予測はすっかり立ってますから、だから外からは非難轟々だったですけど避難しないと。臨床医としての私の勝手かも知れませんけども(高野院長)
・その結果、病院に留まった患者は一人も亡くならなかった。
・しかし原発事故は深刻な爪痕を残した。避難のため職員の退職が相次ぎ、33人いた看護師が5人にまで減ってしまった。
・さらに大きな打撃となったのは、当時もう一人いた常勤の医師の退職だった。ただ一人、常勤の医師となった院長の負担が格段に重くなった。去年は夜間の救急に対応する当直を年130回も務めてきた。81歳になった今年、急激に体調が悪化している。
・回診の後の午後、看護師から報告を聞く時間だが院長の姿がない。10分後、寝過ごしていたようだ。本来、時間に厳しい院長。今年に入るまでこうしたことはなかった。
(お疲れですか、回診の日は?)
回診は疲れます。本当この5年は疲れましたよ。歩くとき時々よろけたりする。あれは今年5年たってからですよ、急に。ああって、もちろん年齢も年齢ですけどね、当たり前なんでしょうけど。それまでは平気で動いていたわけですから(高野院長)
・高野院長の娘・己保さん、病院の事務長だ。今年に入って当直を月2回まで減らすなど負担を軽くしようと努めている。掃除や洗濯など、一人で暮らす院長の身の回りの世話も引き受けてきた。
・己保さんは物心ついたときから、父と暮らした記憶がない。家族より患者、あくまで医師として生きる姿。それが父だった。
そこまで医者として生きようと思わせるものが一体何だったろうなというのを見てみたいなと思って。やっぱり最後まで医者としての人生を全うさせてあげたいなというのが、今の私の目標でもあるんですね。なかなか厳しいんですけども、常勤のドクターが1人でもいいから来てもらえないかなっていうところで、手を尽くしているところですかね(己保さん)
・現在は病院が独自に集めた9人の非常勤の医師に救急や当直などを日替わりで任せている。今も求人を続けている。苦境を知って来てくれる看護師なども現れた。
今年の4月11日からです。もし何か私でもできることがあったらという感じですかね(看護師)
私は2年前です。人も足りないということで働きたいなと思ってここにしました(別の看護師)
(2014年)8月からここで働いています。あんなすごい大きな災害が同じ日本で起きたのに、それまで札幌に住んでましたけど、全然関わるようなことをしてなかったですし。時間たってきて自分何やってるのかなみたいな感じもあって、こっちに来ることを考えるようになったという感じですね(別の看護師)

<若い住民が戻ってこない町、その一方で高齢者の行き場が…>
・震災の翌年から再開した広野町の花火大会。今年は震災後、最も多い6000人が参加。若い人たちの姿も数多く見られた。しかしその多くは一時的な立ち寄り。
もともと楢葉(隣町)です。お墓参りに行ってきたので今、その帰りに寄りました(若い夫婦)
避難している。いわきにいて、いわきからこっちに来てる(別の夫婦)
(将来、広野に戻ってくるお考えは?)
今のところはまだ考えてないですけど(同上)
・住民が戻ってこないのは、放射線への不安だけが理由ではない。コミュニティーが壊れ、買い物など生活する環境が整わないことも帰還を躊躇させている。
・一方で、家族では支えられないお年寄りがふるさとの病院に帰っている。病院内を徘徊する入院患者。
(認知症の患者さんですか?)
認知症(看護師)
(夜の消灯後も歩かれたり?)
そう(同上)

<病院の状況を行政に訴えても…>
・この日、病院を訪れたのは医療計画を取りまとめている県の幹部。今後の体制について現場の意見を聞きに来た。住民の帰還が見通せないとして、病院への支援は遅れていた。院長は診察があるため、話し合いを途中で退席。事務長は福島県立医大から常勤の医師を派遣してもらえないかと訴えた。医師の派遣について県からは病院が独自に交渉してほしいと言われたという。
課長「自分は人を納得させるのは苦手なものですから、なかなか(医師の派遣は)うまくいかなくて」なんておっしゃって「むしろそちら(高野病院)からお話を通してもらった方が自分通すより全然早いと思いますよ」なんて。課長にはお話したんですけども、結局ある意味ネグレクトのようだと。皆さん(国・県)ここ(双葉郡)の現状は分かっていらっしゃる。ただそれがどうしていいか、まだ分からない状態のまま来てしまっている。まだ何も描けない状態が続いているのが今のここの現状なんですね(己保さん)

<容体が悪化した入院患者にどう向き合うか>
・入院中の患者の容体が悪化した。避難のさなかに倒れ、病院を転々としてきた女性。近頃、おしっこの量が減って体がむくんできたため、確認することにした。肺に水が溜り呼吸しづらい状態になっていた。
・家族に連絡を取るよう指示を出す。高齢患者を受け入れる高野病院では、最期の時間に立ち会うことも少なくない。
もしご家族の方とか親族の方とかですね、面会しておくのであれば今のうちに面会していただいた方がいいかなという状態なんです。ちょっと確認なんですけども、呼吸が止まったとか心臓が止まったときに、口から管を入れて呼吸させるとか心臓マッサージをするとか、そういう処置は高野病院ではあまり行わないようにしているんですけども、自然に見送るという形でよろしいですか(電話する看護師)
・2時間後、隣町に住む娘が仕事を抜けて駆けつけた。家族の承諾を得て胸水を抜くことに。水を抜き過ぎると状態が悪くなることもある。
よくなりました。少し楽になったような、呼吸の仕方が。病院に入れてもらったからよかったです。先生もご高齢だからしゃべるのも丁寧で小さい声で聞き取りにくいんですけど、頑張ってますよね(家族の女性)
私はその患者さんのいわゆる「生きたい」という「生きていきたい」と。こういう体になっても「生きていきたい」という。患者さんが瞬き一つにしろ、仕草の一つ一つについて生きているんだなということを感じとってあげると、それをこちら側が感じとって、それで治療するという。やっぱり命というものをどんな風に重く見るか大事にするかじゃないですか。大事にするかという(高野院長)
・水曜日、院長回診の日。肺に水が溜まっていた女性の容体は悪化していた。
(胸水が)とれればいいんだけどね。なんとも出来ないな(高野院長)
・心臓に近い左側の肺から水を抜くことが難しく、手の施しようがなくなっていた。

<院長のこれから先への思いは>
・命の輝きと厳しさを見つめ続けてきた日々。震災後、この病院で退院した患者は289人。命を全うした患者は170人に上る。
本当はもっと早く引退したいんですけども、この災害から今までの現状をみると、これはもう一種の義務感みたいなものが加わりましたね。義務感といえば大げさですけども、体が動くまでやらざるを得ないのではないかと。ただ10年くらいはまだできるだろうと、そう思っているだけですよ。災害から5年でしょ、あと10年たたないと、この地域は元に戻るか分かりませんからね(同上)

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