薫の野郎猫的日常
2016年09月17日 (土) | 編集 |
昨日、日帰り帰省してまいりました。(会議中にも1回、ズンという音とともに小さな縦揺れが1回ありました。)

担当者が交代してからというもの、嬉しくなるようにみるみる内に施設内の空気感がいいほうへ変化している。

だからなのか?

今回の未曾有の震災、前震と本震で母の施設も無事ではいられなかった。

が、見せていただいた限り、数は多いけど驚くほど軽いクラックで済んでいた。

もちろん、入所者さんたちは震災後、職員たちの誘導で滑り台タイプのシューターを使って1階に全員集められ、余震が落ち着くまでしばらくの間、共同生活を送った。大きな揺れを体験したためか、その後は次々と体調を崩され、毎日最低一人は救急搬送されていったという。(母はというと1日2日は気分が悪かったらしいが、すぐに復調し、ただ一人元気だったそうな…うん、それが母です(笑)あの人はこういう時になると生き生きする。昔っからそういうところがあった 。そういう私もそう。小学生の時のバス旅行でもそうだ。バスや船などにすぐ酔うくせに、自分より先に人が気分悪くなると途端に元気になってせっせとお世話する法に回って気が付いたら乗り物酔いはどこかに吹っ飛んで跡形もなくなっていた、とか)

昨日、職員さん方からいろんな話を聞いていて、鳥肌が立った。

①発災2週間前、シューターを使って初めての避難訓練を行っていた。それも今回と同じ、夜勤スタッフしかいない時間帯での発災をシミレーション。その上、なぜか本当の震災当時の夜勤スタッフと全く同じスタッフでという想定になっていたので、実際に被災したとき、誰一人としてパニックにならず、粛々と行動できた。
②電気やガスは無事だったが2週間断水だったので、施設3階に避難用の物資が備蓄してあったため、栄養士さんは保存水を使って暖かい手作りの食事を提供することが可能だった。
③母の施設は鉄筋コンクリートの構造がしっかりしている建物だったこともあり、被害が少なくて済んでいたので、しばらくの間は、近隣の被災者の方々の避難所としても機能していたのだが、2度の大きな揺れが治まった後、「何か手伝うことはあるか?」「困っていることはないか?」など、入所者さんとは全く関係がない、近隣の住民の皆さん方から次々に電話が入り、多い時には40人以上の人が施設に集結しボランティアをしてくれていた。

③の話に感動しました。「やまゆり苑」のような話もある中で、母の施設はここまで地域にしっかりと根付いていたんだ。いざとなると縁もゆかりもない近隣住民が「○○寺が倒壊して道をふさいでるけどどうやってそっちへ行けばいい?」など問い合わせしながら、倒壊した建物や地割れも気に留めず、我先にと施設に集まって手伝ってくださったなんて…本当にありがたいですね。

それもこれも、日ごろから、施設職員たちがコツコツと地道に地域住民たちを招いてイベントを開催して、入所者さんたちと地域住民たちとの交流を図っていたおかげです。

いつの間にか住民の皆さんの心の中に理解と親しみが深まっていたんですね。

地震後の「自助」「共助」100点満点!!


東京は地震後、どうなるのかなぁ。


ここまでうまく助け合うことができるだろうか…イベント企画したってその日に限って外出とか用事があると欠席届提出する住人がどっと増えるもんなぁ(笑)

無理だよなぁ…








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