薫の野郎猫的日常
2015年11月11日 (水) | 編集 |
大たい骨骨折した母ですが、おかげさまで11月16日(月)に施設へ戻れることになりそうです。

自分たちの経験&勉強不足を棚に上げbpsdの所為にして母を薬物コントロールしたけど、
私が「ドラッグロック」と騒いだので渋々減薬。

退職した前担当よりマシな人に替わったこともあり母は穏やか。
ほぼ抜薬状態のまま骨折入院先2か所でも安定。

これが何を示すのか、施設はよ~く考えてほしい。

介護業界に身を置いていながらドラッグロックや薬物コントロールのことも知らない。
問題行動を起こせばbpsdで何でも片づけ薬で黙らせようとする。
それが高齢者にとってどれほどの苦痛とADLの後退を招くか全く理解していない。
家族、それも同業者の言うことを無視。

その結果が今の母。

薬で抑制されていた数年間で歩く気力も奪われ
徘徊しなくなり足の筋力がゼロに近いくらいに奪われてしまった。

抜薬し多少なりとも歩く気力が回復したが体が儘ならず。
ケアの方法も見直しせず必要な見守りなしで転倒骨折。

pccが徹底している施設だったら母は今でも徘徊できていたかもしれません。

以前、抑制期限を決めないまま薬物コントロールされて徘徊ができなくなった姿を見て、
知り合いの弁護士に相談したが、
ニュース報道に出る様な廃人同然、
もしくは命に係わる危機的状態になっていないので、
たとえ訴えたとしても勝ち目はないそうです。

ま、騒いだのが功を奏して抜薬してもらえて、その結果、
転倒骨折はしたけど、一瞬でも自分の意志で立ち、自分の足で歩けたので善しとするしかない。

手術前に帰省し、「歩けたの?よかったねぇ!」と言った時、
「はい!」と答えた母のあの嬉しそうな顔を見て少しだけ救われた気がしました。

転倒骨折し、急性期病院を経てリハビリ病棟付老保でゆっくり回復期を過ごしてもらいながら、
歩行能力がどれくらい戻るか見極めましたが、手引き歩行は可能です。
それ以外は車椅子生活になりました。

母はもう二度と徘徊できなくなってしまいました。

施設入所時に施設側と契約する際、徘徊Okと確認済みだし、
思い切り歩いてもらいたいとまで言われたし、
私も自力で歩ける間は好きなだけ歩いてほしい、
いつか必ず歩きたくても歩けなくなる時が来る、その時まで。
徘徊であっても母の体力や気力を測る目安になるので。
食欲と同じで自然と歩けなくなったら、それなりの覚悟をする時期だと思う、と。
施設側もそれを納得してくれていたはずが、
施設長やケアマネが代替わりするたびごとにどんどん話が違ってくるし、
ケアのやり方にも変化が現れ、
母の気持ちもどんどん荒れてきて、
それを理解できないまま爆発させてしまい、
家族は違うと言ってもそれをbpsdだと言い張り、
遠距離介護者の弱みに付け込み薬で黙らせ、
抑制し、母の気力を奪い、筋力と脚力を失わせ、
家族が騒ぐと契約時と全く違って無理難題。
家族は転所を決意し、pccを理解している施設(待機者20名)に入所申込み。
そこに母の場所が準備できるまで今の施設に居座る覚悟を決めた。

そうこうしているうちに前任担当が退職。
至極まともな男性スタッフに交代。
物置状態だった母の部屋がきれいさっぱり整理整頓された。
ぐちゃぐちゃだった引出の中もきれいに折たたんで美しく並べられた。
それを境に母が劇的に穏やかになった。
主治医が来年90になる母の高齢を案じ、
新しく着任したナースの後押しもあり
抜薬もスタートした。
ほぼ抜薬完了した頃、用を足している間にケアスタッフが別の仕事のために母を一人にして移動。
その間に立ち上がり転倒、骨折。

それを聞いた時、
抜薬したら母がどう変化するかの予測が全くできていないままケアしていたことに愕然とする。
いや、ケアではないな。作業?業務?いずれにせよ心も気持ちも伴っていない。
抜薬したら動きが活発になることも、
抑制時間が長期化していることから来る筋力の低下も、
これまでずっと抑制されていた人間が急に立ち上がったら
血圧だって急変動するだろうし、
それによる眩暈や立ちくらみだって起きかねない。

介護の勉強しているなら絶対に見守り強化せねばならない条件がそろっているとすぐわかる。
なのに母だけ残していなくなるなんて…。

やっぱりこの施設は…以下自粛。

いまさらなに言っても良いことない。

でも、

もう二度と転倒事故は起こしてもらいたくない。





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