薫の野郎猫的日常
2015年08月04日 (火) | 編集 |
「法的安定性を著しく欠く集団といえば、日本には昔、政府の政策を無視、陸軍中央の方針さえ無視して突っ走る関東軍というのがいたはずだよね。そこまで時計の針を戻しますか?」(作家 松井計氏のtwitterより)

★多くの学者たちが違憲といった戦争法案。国民の8割以上が「廃案」とデモ行進する戦争法案。なのに、衆院を数の暴力で強行採決した自公政権。最近では、安倍さんの側近が「法的安定性は関係ない」と言ったり、若手自民党員が「戦争に行きたくないなんて自己中心的以外の何物でもない」「基本的人権こそが日本人をダメにする」と言って大炎上。戦争法案の賛成派はデモ行進しながらヘイトスピーチ。ナチの旗や星条旗まで平気で掲げている。トイレに安倍総理の悪口を書いた人を警視庁が逮捕しようと捜査している。いったいこの国はどうなってしまったのか?

磯崎も坪井も木原も大西も武藤も一般市民で自分の主義主張をSNSで自慢げに披露する分には何のお咎めもなかろうが、彼らは日本国民から選ばれ、日本国憲法に保障された身分を持つれっきとしたこの国の政治家なのだということを、どうもお忘れのようです。それがとても恐ろしい。

★保守派の集会やデモ、以前の職場が銀座築地だったこともあり飽きるほど見てました。いっぱいいらっしゃいましたよ、今回問題になっているような方たち。「いろんな旗」もはためいてましたね。保守王国熊本なんて反自民の声を上げたら、集会の隣で街宣車から「死ね」「殺す」って大騒ぎされますもんね。

★関東軍と言えば満州で少年~青年期を過ごした今は亡き父。「昔を思い出したくない」と得意だったはずのスケートも教えてもらえず、雛から育てた「肩乗りスズメ」のこと以外は思い出話ひとつしてくれなかった。帰国した後、母と妹を食べさせるために行った長崎で被爆もしちゃってるからな。最悪だよね。

父の父親は稀代の遊び人で全く働かず。全部父に丸投げして自分は放蕩三昧。被爆してまで守りたかった母と妹も、満州から帰ってすぐ、栄養失調とストレスから次々に亡くなり、父は一人ぼっちになった。父にとっての戦争はこんな感じ。なのに、いつか「あの場所」に帰りたいと中国語を独学してた。

願いは叶わなかったけどね。。。可哀そうだった。

母の父親は戦前戦中、台湾で警官やってました。ポケットモンキーを飼ってたって。裕福な暮らしをしていたようです。が、熊本に帰ったら畑仕事。年の離れた兄弟がいたから長女の母がその分頑張ったらしい。性格が真面目だから、学校から帰ったら畑仕事を手伝う毎日。

熊本であっても毎日、奇襲のように、機銃掃射があり、いつ銃弾が飛んでくるかわからず怖い思いをしたそうだ。でも母には両親も兄弟もいて、戦争で一人も亡くなることはなかったので、父に比べたら幸せだったと思います。母からは戦争の話をたくさん聞くことができました。

父は一切戦争の話をすることはなかったけど、その分、遊び人の祖父からはそれこそいろんな話を聞くことができました。明治生まれなのに、ピアノとかオルガンとかたしなんでたんですから、どれだけ遊んでたかわかるってもんですよ(笑)

松野頼三、頼久父子と同じ山鹿出身、昭和45年に熊本市長に初当選、以後4期16年、熊本市長を務めた人物の親戚ということも手伝って、亡父は熊本市役所のバリバリの自民党員。母は郵政省系列の役所の国家公務員で、共産、社会両党を支持し、職場の組合の書記長を務めたバリバリのキャリアウーマン。

その2人の間に生まれた私だからなぁ。なんでもありなんですよ、正直な話(笑)なんでもいいっていうか、真ん中も含めどっちにもいけるっていうか。その時々のいいところだけ、つまみ食いして生きていける。

父方の親戚からは昔っから「あんたのお父さんの家は代々、医者と政治家が沢山出てるのに、爺さんはもうどうしようもなか人!あんたは絶対にあんな生き方はしたらいかん!」って呪文のように言われ続けました。ホント、呪文(自爆)子供には親の良い所しか言っちゃいかんですよ。

戦後70年。
「戦後は終わった」って言われ始めた年に生まれたから、ギリギリ戦争のにおいを嗅ぐこともできるし、平和を謳歌することもできる。バブルも知ってる。だから今、とても恐ろしい方向に進んでいることも動物的勘で感じ取れる。今のままじゃ、嫌な時代になるよ。もうなってるけどね。

急展開するのじゃなく、知らない間にじわじわと匍匐前進して近寄ってくる暗い影。

しっかり目を見開いて、じっくりと観察し、ちょっとした変化にも敏感に。

そして、声を上げ始めた若者や高校生たちのように、躊躇せず、声を上げましょう。

「王様は裸だ!!!!」



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