薫の野郎猫的日常
2014年04月10日 (木) | 編集 |
大切な、大切な友が今朝、旅立った。

彼女とは40年の付き合いだ。
といっても学校とかふるさとが同じとかそういう括りは一切関係なし。
大学を卒業して就職せずファッションの専門学校へ通っていた頃、
大学生の頃の友人の一人の親戚が舞台関係の小道具を作っていて、
人手が足りないから手伝いにいかないかと誘われ、
興味本位で新宿のアトリエへ通い始め、
そのうちに、
イギリスのコベントガーデン・ロイヤルオペラの引っ越し公演の裏方の話が舞い込み、
それもまた面白そうだと思って全くのど素人なのにプロの衣装さんたちの中に紛れ込んで、
でもなんだかその空気が心地よくって・・・

プロの衣装さんである彼女とはそこで知り合った。
違うな。
知り合った・・・なんてカッコいいものじゃなく、
半ば強制的、いや暴力的に私から彼女に近づいた。
だって、
彼女のジージャンの胸に、
一般人じゃ絶対に入手不可能なThin Lizzyの「ブラックローズ」のバッチがあったから!
「うわぁぁぁぁ!どうしたの、これ!」
私は彼女の胸にあったバッチを引っ張った。
「え????あ、これ?私の夫が来日公演の舞台監督するから・・・」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!うそぉぉぉぉ!すごい!!!これメンバーとか関係者しか手に入らないんだよ。いいなぁ~、これ・・・」
「そんなに貴重なものなの?私にはその価値がわからないから、そんなにほしいなら、いいよ、あげるよぉ・・・」
「ひぃぃぃぃ!うれしぃぃぃぃ!ありがと~~~」
初対面の彼女のバッチをその日のうちにむしり取った。
自己紹介したのは、バッチが私のシャツの胸に引っ越した後のこと。

そして・・・
「ね~~、ご主人のコネでサインもらうことできないかなぁ」
と、図々しいお願いの上塗り。後日、しっかりサインも手に入れた。

ロイヤル・オペラの公演中に少しずつ親しくはなったけど、
どちらかというと、公演終了後からの方が親密度が増したように思う。
これまた違うな。
どうやってここまで仲良くなったか、あまり記憶が定かではないのだが・・・
芸能界や音楽界の関係者である彼女とご主人にとっても興味があったから半ば強制的に仲良くなったに違いない。

渋谷のデパートの地下の靴屋で買い物してた時、BGMがThin Lizzyになって急にその場でエアギターかき鳴らし始めた私に尻込みしながら・・・でも彼女はそんな私を見捨てることなくずっとそばにいてくれた。

舞台監督になりたいと言えば、朝倉摂さんや妹尾河童さんや玉三郎さんやジュリーとか二期会、藤原オペラほか、錚々たる方々とお仕事されていたご主人の知り合いの有名な舞台監督の事務所を紹介してくれて(その事務所には当時まだ独身だった小栗旬さんのお父様も在籍していた)、事務しながら、上の階の舞台衣装のアルバイトさせてもらったり、でも、あまりにも世間知らずで生意気なことを口にすると、ご主人がバシッと厳しいことを言ってくれたり、夫婦ともども私に真正面から向き合ってくれた。

私がその舞台監督の事務所を辞め、大学の友人に誘われて始めた広告代理店のバイトを経て、その代理店で航空会社の機内音楽制作に携わるようになった時も、その後、大手エンターテインメント業界に就職したときも、そこを退職し、今の生活に落ち着いた時も、いつもどんな時も、必ず彼女はそばにいてくれた。

あんな好い人がこんな性格破綻者の私に、どうしてここまで好くしてくれたんだろう。最期まで彼女は私を芯から愛してくれた。

彼女も、ある程度年齢が行ったときに身ごもり娘を出産。その後、ご主人と離婚。ご実家に帰ってお母様と同居。生活を支えるために経理の資格を取り、働きに行って頑張った。大学を卒業した娘は父親に似て舞台関係に進んだが、素敵な男性と巡り合い結婚し、かわいい娘を授かった。

やっと頑張ったご褒美をもらい、これからだというときになって・・・彼女の体を癌が蝕み始めた。

放射線治療で何とか頑張っていたし、摘出手術にも耐えたのだが。
入退院を繰り返し、今朝、入院している病室で眠るように息を引き取ったそうだ。

今夜、彼女の携帯から私の携帯へ連絡がきた。その時ちょうど出られなかったのだが、着信を見て、私にはその連絡の意味がすぐに分かった。かけ直すと娘が出て、彼女の最期を伝えてくれた。

昨年、彼女が放射線治療のため入院する日に会いに行ったのが最後。
その後はメールでのやり取りだけだった。
お互い、詳しい話はしなかったけど、でも肌で感じた。
彼女の癌は悪性だろうということ、きっとそう長くはないだろうということ。

弱って痩せこけていく自分の姿を見せたり、相手から病人扱いされたり、同情されたり、優しくされることを嫌う人だから。
会いたければ彼女の方から「会おう」と言ってくるから。

だから、私からは連絡しなかった。
摘出手術が終わって早期退院が決まった時も、
彼女の誘いを待った。

でもわかってた。
そんな日は二度と来ないだろうって。
私のうちの近所の店で売っている彼女の大好物のアップルパイ、一緒に食べたかったなぁ。

ずっと連絡し合わないまま、今日を迎えてしまったけれど、
でも後悔はない。お互い心の糸電話はずっと通じてたもの。

摘出手術終了後、実家を離れて娘家族と新しい部屋を探して同居し始めて・・・それもあって、私は連絡しなかった。最期の時を家族だけで過ごしてほしくって。

娘には、ずっと彼女を守ってくれたことを感謝し、そして、ずっと会いに行かなかったことを詫びたけど、娘もわかっていてくれていた。彼女も娘も、私と全く同じことを考えていたみたい。そのことを聴いて涙がどっとあふれ出した。

あ~、こんな友は一生に一人か二人逢えればいい方なのに。
そんな貴重な大切な友をなくしてしまった。

私にとって彼女は、会うとか会わないとか、連絡したとかしないとか、就職したとか失業したとか、有名企業だとか個人商店だとか、そんなことで影響するような間柄ではなかった。何年会わなくても、全く関係ない。そんなレベルで付き合ってない。私をそんなレベルで見ていない。

私もそう。
私にとって彼女はいつまでもThin Lizzyのバッチをむしり取った時の、あの鳩に豆鉄砲くらったような表情の彼女のまま。

Aさん、頑張ったね!偉かったよ!!
あなたとは仲良く婆さんになって昔話に花を咲かせることを楽しみにしてたのに。
娘は大丈夫。あんないいご主人がついてるし、にこにこ笑う孫娘もいる。

だからゆっくり休んで。
お通夜か告別式か、どちらかには必ず出るから。
待ってて。

あ~、もうあなたの美味しいごはんが食べられないのか・・・
最後にあった時に食べさせてくれたポテトサラダ、美味しかった。

さよならは言わない。
言いたくない。

またね、Aさん!


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