薫の野郎猫的日常
2014年01月27日 (月) | 編集 |
★パーソン・センタード・ケアとは何ぞや
●認知症介護応援サイト http://mira34.com/dem/sdat13.html
●認知症介護情報ネット http://www.dcnet.gr.jp/about/person.html
●パーソンセンタードケアを学ぶのは何故か?http://kintokaigo.seesaa.net/article/180931873.html
●~認知症患者の介護に有用な「パーソンセンタードケア」①~:Journal Club|北海道家庭医療学センター さんから
●~認知症高齢者の困った行動(BPSD)とどう接するべきか?「パーソンセンタードケア」②~:Journal Club|北海道家庭医療学センター さんから
ほか、検索すれば多くの情報が得られますので、興味がある方は是非、チェックしてみてください。

実践パーソン・センタード・ケア―認知症をもつ人たちの支援のために」の著者で、認知症介護研究・研修大府センターでマッピング(http://www.pcdc.or.jp/blog/1455/ )の導入に当たっている水野裕・非常勤研究員(http://www.dcnet.gr.jp/center/obu/research/detail.html?RESEARCH_INFO=18)(http://www.anzu.or.jp/imaiseshinryou/department/medical/index.html)が老年精神科部長を務める一宮市立市民病院今伊勢分院(愛知県)では、パーソンセンタードケアの理念に基づいて「縛らない、薬を使わない」ケアを実現してきた。

「認知症患者がたとえ怒っていても自分から感情を表現していれば良いサイン。反対にサインを出さなくなり無関心や無感動になってひきこもることが悪いサイン。 認知症の人が迷惑となる行動をしていても、その人にとってはよいサインを出しているのではないかと考える。」

「介護サービス提供者が自分らしくいられないほど犠牲を強いられるケアは持続不可能ですし、受ける側が「自分の存在は相手に迷惑をかけている」と感じることにもつながりかねず、パーソン・センタード・ケア(PCC)の理念に反するのです。」

「認知症の人が、自分は必要とされている、自分にはできることがある、と感じられることこそパーソン・センタード・ケア(PCC)の肝で、家族も関わりの中で自分らしさを追求してよいのだと理解すれば、安心して参考にできるのではないでしょうか。」


私の職場も「尊厳より治療に重きを置く病院等の医療施設以外は」道具による拘束抑制は実施せず、必要最低限でしか薬に頼らない。
在宅、他の施設や病院で手におえない暴力ほかあらゆる問題行動により、薬漬けとか縛られていたという方がわが職場に来ても、最低限まで薬を抜き、好きなだけ暴れてもらいながら様子を見ると99%落ち着きを取り戻し穏やかな生活を取り戻す。残り1%は家族の意向で入院し過鎮静の寝たきり老人になって戻ってきたケース。

この1%の方のあまりに変わり果てた姿に担当者全員、「守ってあげられなくてごめんなさい」と、ベッドサイドで大泣きしたものだ。薬物で黙らせるやり方にみんな断固拒否したが、家族の意向には逆らえない…それが悔しかった。あの無力感と悔しさは一生消えない。

わが職場で実施している「薬抜き」から除外されるのは、糖尿病や内臓疾患ほか、これを抜いたら生命維持できない薬物と副作用がなく無害とされる便秘解消のためのマグネシウム。それ以外の所謂「黙らせる」ことを目的とした認知症患者に飲ませる薬物や睡眠薬は、可能な限り使わない。

暴力他問題行動はそれこそ個人差はあるが、薬に頼らずとも、いつか必ず私達スタッフとの交流で完全に解消されるし、そうなる自信がある。それに暴力暴言や不潔行為に及ぶには必ずその方なりの言い分がある。長い間にたまりにたまった鬱憤や怒りや悲しみがある。いいじゃないですか、好きなだけ暴れてもらえば。それで気が晴れるならどうぞ思う存分、暴れてください。その方が訴えたいことを理解すれば、そしてその方が私たちから理解されたと感じ取った瞬間に、表情が一変、問題行動はぴったりと止まり、二度と繰り返さなくなる。夜間のお散歩が趣味の方に眠剤を入れれば、足元がふらつき余計に危険だ。夜間元気にお散歩する方は好きなだけ歩いていただく。いいことじゃないですか、歩くって。それで寝不足になり朝起きられなければ、一応、定時に起きてもらい朝食にお誘いするが、食欲不振であれば再度ベッドに誘導しお寝坊してもらう。だって、歩きたくても歩けなくなる時が来るんだもの。その時が来るまでは、思い切り歩いてもらいたいじゃないですか。なんでそれが問題行動なのか、私にはさっぱり理解できません。


四六時中穏やかで微笑んでいるのって不気味じゃないですか?
何故、認知症の方だと、薬で四六時中ニコニコさせるよう強制的に仕向けた似非笑いなのに「穏やか」と喜ばれるのでしょうか?
人間だれだって喜怒哀楽はあります。
何故、認知症の方だと、喜怒哀楽を素直に出すことが即、抑制拘束の対象とされるのでしょうか?
何故、認知症の方だとそれが許されないのですか?
感情表現するのにはそれなりの理由があるでしょ?
何故、認知症の方だとその理由を知ろうとしないのですか?
何故、認知症の方だと「病状が進行した」「原因不明」と決めつけるのでしょうか?
感情を素直に表に出すことって健康な証拠でしょ?
何故、認知症の方だと、感情表現が豊かなことを危険視するのでしょうか?


認知症の方が急に興奮状態になったり、怒り出したり、暴言暴力に及ぶと、なぜ、病気のせいにするのでしょうか?
もしかしたら、他の入所者さんに非があるかもしれないじゃないですか?
もしかしたら、施設職員の方に非があるかもしれないじゃないですか?
なぜ、認知症の方ばかり悪者にされるのでしょうか?





なぜ母の薬物療法入院関連で、転所まで考えるに至ったか。
薬物投与が本当に必要なら問題ないのです。
でも、あの施設では薬が本当に必要か検討することも母の極度の混乱状態の理由を知ろうとしもしなかった。
「原因不明」「何かが起こっている」「コミュニケーション困難」で片づけ、なにもかも病気のせいにして薬で黙らせようとした。
が、私はかたくなにドラッグでのコントロール入院を拒否した。
だって、私の職場や知り合いの同業者なら解決可能な問題だったから。
母のレベルの混乱状態なんて私たちにとっては可愛いものだったから。
こんな軽症で薬を使うなんてとんでもないこと。
これくらいで騒ぎ立てるなんて・・・。
最初にコントロール入院の話が出てから半年の間、ひたすら薬じゃなく、心のケアで安定状態にまで改善してほしいとお願いした。

ほんとうに原因不明の混乱状態なの?
それとなくフロアリーダーから話を聞くと、混乱するだけの理由が存在していた。
その原因となったことは、施設職員が解決できることばかりだった。
それどころか、やり方次第で事前に防ぐことができた。
なのに、それを指摘されるまで誰一人として気がつかなかった。
じゃ、遅まきながら原因に気がついたんだから改めようと努力したかというと、やり方がわからなかったのか、母の混乱状態はますますひどくなり、収拾がつかないほどの極限状態にまで悪化した。いや、悪化させられた。

もう、薬に頼るしかなかった。
この施設でお世話になるには、薬物療法入院に同意するしかなかった。

そして、1か月の入院生活から解放され無事退院の運びとなり、ケアマネから「コントロール成功です。穏やかにお過ごしです」と報告が来た。

ところが・・・説明不足というか、施設と病院とで共有されていた退院前に交換された情報がまったく家族に伝わっていなかったため、不必要な誤解が生じてしまったのだ。

※「薬物投与する場合は、家族とコンセンサスを得ておくという過程は外せない。そうしないと今後の利用者の生活支援に支障をきたす可能性があるからだ。施設サービスは、施設職員だけで完結させるのではなく、うまく家族を巻き込んで、利用者と家族の繋がりを強く持ったままで支援することが必要だからである。

この場合、処方の意味や効果説明については、医師から家族等に直接説明する必要があるが、その前の段階で、医師からどのように説明があるのか、それにはどういう背景があるのかを事前に家族に対して情報提供しておくべきであり、その役割を担うものは、施設であれば介護支援専門員または相談員といったソーシャルワーカーであろう。

そういう意味では施設のソーシャルワーカーには、福祉援助の知識や技術だけではなく、最低限の医学知識が求められるし、交渉術というスキルが求められるであろう。

どちらにしても、家族は我々と同じ情報量と知識を持つ専門家ではないということを理解して、必要な情報を提供し、判断できる材料を与えるという支援は不可欠であり、逆に言えば、こうした情報や専門知識を提供できないソーシャルワーカーや施設職員であっては困るということである。

だから毎日の学びは欠かせない。福沢諭吉は「学べば進む」と言ったが、それは「学ばなければ進まない」という意味ではなく、「学ばなければ後退する」という意味である。

施設の職員が「認知症」に対する様々な知識や援助技術が、家族より低いのであれば、なんのための施設サービスか、ということになる。そんなことで報酬を得られるのかという批判に繋がる。

しかし家族の中には、長年認知症ケアに関わって、その領域に関しては非常に勉強している人がいる。そういう人たちに遅れを取らないように、すべての介護サービス従事者は日々の勉強とスキルアップに努める必要があるだろう。」(
masaの介護福祉情報裏板 「12:17 カテゴリ認知症の理解家族が服薬を拒否するケースからの考察より転載)


↑の注意点があの施設では完全に省略されてしまった。


そのことに注意喚起し、今後同じ間違いが起きないよう総括したかったのに「過去のことを今になって蒸し返されても」と一蹴されたのが昨年の10月のあの日だ。http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1467.html


反省なら猿でもできる、っていうなら、彼らはサルにも劣る。

反省失くして前へ進むことなどできない。

あの施設に進歩も明るい未来も存在しない。





この時点で私はあの施設に期待を持つことを諦めた。信頼することもしなくなった。もうダメだと思った。





こんなレベルの低いサル以下のド素人から「お母様が可哀そう」「寂しがっている」「お母さんのために~」って言われてもねぇ。それに母をだしにして自分たちの要求に従わせようとする姿勢=プロの介護職とは思えない姿勢には反吐が出る。






母の入所している施設職員とは、どれほど相互理解を計ろうと努力しても全くかみ合わないのです。
こればかりは仕方ないです。
基本理念が180度違っているのですから。
これぞ誠の「性格不一致」「価値観の相違」そのものなのであります。
逃げ出すしかないのであります。
逃げるが勝ちなのであります。


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