薫の野郎猫的日常
2017年09月06日 (水) | 編集 |
★木村草太‏ @SotaKimura 
「教育」と「支配」の違いをどうやったら伝えられるのか。暴力や成績評価で相手を思い通りに動かすのは、「支配」だと思うんだよね。例え技術が身についたとしても、それは「教育」ではない。

★「誤解されている。信頼関係あってのあの場面だ」
「危機だと思っていない」
「そもそも問題にすべきことではない」
「あれは暴力じゃなくて、コミュニケーション。普段からあれくらいのことはあった。子どもは傷ついていない。愛だと思っている」
↑は日野皓正ビンタ事件での日野氏側近の弁明(言い訳)。
こんな人たちを擁護する世田谷区もまた、DVだったのね(棒読み)


でもきっと、この世には「子どもへの暴力はいけないこと」と強く思っている方もいらっしゃるはず。

そんな世論が味方に付いてくれれば百人力。
何卒、応援よろしくお願いいたします!

ま、最悪、今回、「正義」が敗けても、きっといつか、「真実」に蓋をした大人たちはきっと子々孫々にわたり、罰が当たると思いますよ。大人から暴力を受けた子供たち、そして大人になったその子供たち、そしてその子供たちの子供たち…の手でね。

私みたいな…。

「実母からDVを受けて育った子供」が大人になったのが私。
親を親とも思わず、親を「あんた」と呼び、東京の大学に進んだから親を殺さずに済んだけど人間恐怖症、親になりたくないから結婚も出産もせず。

自殺も考えたり、試みたりもしたけど、痛いとか怖いとかは嫌だから、ギリギリのところで踏みとどまり、それからはもう二度と自死は考えなくなった。親を殺そうと思ったけど、そんな勇気もなかったから実行に移さなかった。

動物も殺したり苛めたりしなかった。家のそばには野犬がたくさんいたけど、みんな私に優しかった。でも、家で飼うことになった動物たちは一匹も天寿を全うできなかった。初めての犬は野犬で一番私に優しくしてくれた雌犬だった。よく吠えた。ある日私が学校から帰ったら別の見知らぬ犬がいた。当時同居していた父方の祖父があの雌犬のミリーを保健所に連れて行き、新しい雄犬を替わりにつれてきた。それからはちょっと病気になったり怪我したり飼うのが大変になるたびに、私が学校に行っている間に保健所に連れて行かれた。両親は一度も動物たちを守ってはくれず、祖父に従って無言を通した。私は家で孤立した。

私に優しくすると、私が愛するとみんな死んでしまうと思った。動物と一緒に暮らしちゃいけないと思った。子どもで無力な自分を恨み、呪った。親や祖父を呪った。

この話を保護ボラしている知人に言うと「よく動物虐待に走らなかったね。こんな過去を持ってれば九分九厘、動物虐待に走るんだけどね」と言われた。あの頃、家を出て親と離れて暮らすことを目標に生きていたようなところがあります。それが実現できるなら、できる限り、警察の御厄介になることはしないでいい子でいようと。

そこいら辺のメンタリティは親に似ていると思う。一皮剥けばドロッドロですが表向きは「いいかっこしぃ」です。

これまで十分に傷つき傷つけ傷つけられてきた。もうこれ以上、人から傷つけられたくないし、私も誰も傷つけたくない。独りが一番楽。猫がそばにいてくれればそれだけでいい。

親の介護や看取りや納骨堂契約や最低限のことはしてて、我ながら偉いと思ってる。母に対しても内心「あと一人。さっさと死んでくれ」と思いながらも、外面よくして、いい子ぶりっこしてますよ。

こんな私だから日野さんにも、実母と同じ臭いを感じるんだよね。
今回の中学生ビンタ事件やその後の氏の会見で、トラウマというか、フラッシュバックというか、大人しくしてた暗黒面がドロドロと噴出してきましたわ。
だから無作為な世田谷区行政と保坂区長と世田谷区議会自公民会派の議員たちを見てると、居ても立っても居られないんだよ。

子供を思うならドリバンを潰すな?

逆!

暴力振るわれる、暴力シーンを見せられる閉鎖的空間。私みたいな子を作りたくなかったら今すぐ解散した方がいい。

相手に向けて、あらゆる手段を使って、力だけじゃなく、言葉とか振る舞いとか、多種多様な暴力をふるう、急にパッション全開になって止まらなくなる(大声出したり、嬌声上げたり、所構わず踊り狂ったり。⇒あの中学生の舞台での振る舞いも、もしかするとDVから来てるのかもと思ったりしてます)、内向的に暴力を受け止め相手の暴力で愛を確かめようとする(相手に酷いことを言って暴力を振るわせようと試みる)、相手が自分を嫌いになるよう仕向ける、自虐、異常なほどに「愛情」に飢えている、自分に存在価値などないと病的に思い込む、対人恐怖症、自傷、過食症、拒食症、子供の親になるのが怖い等々の子が育つ確率高いよ。

親からDV受けてたからかな?なにか不気味なオーラでも出してたのかな?今もってなにが原因か今でもよくわからないんだけど、小学校から中学までずっと学校でいじめられてた。先生からも。毎日泣いて家に帰って、また母から暴力受けて…肩に腫瘍ができたらお金持たされて自分一人で病院へ行き、摘出手術した後は部分麻酔がまだ効いてる中、ふらつきながら歩いて帰宅した。心臓に穴が開いてるかどうか検査入院した時は、3週間のうち見舞いに来てくれたのは1回だけ。それも10分そこらで帰られた。こんなんでよく死ななかったし、登校拒否にならなかったわ。

親から殺されず、親を殺さずに済んだおかげで、高校生でやっとこさいい学校生活だったと思える時間を過ごすことができた。高校を卒業したら家を出ると決めてたから、やっと親元を離れられる、と内心思って心弾んでたからね。だってあのまま家に残ってたらきっと私、親を殺してたと思うもの。人殺しになんかなりたくなかったから家を出て親と離れた。いいことでしょ?熊本駅から東京行きの寝台特急が出発した時のあの言いようのない安堵感と嬉しさったら。今もよく覚えてる。東京が私を救ってくれた。あと食べること!美味しいものを食べる時が一番幸せ。食べられる内は生きていられるし、生きてると感じることができる。(口から食べられなくなったら管を使って流動食を流し込まないでほしい。あくまで口から食べる間は、美味しいと感じられる間は、幸せと感じられる間は生きていられると思う)

親が要介護になり、施設入所を決め、もう二度と家に帰れないことが分かり、すでに認知症を発症していた母の成年後見人になった私は、さっさと家庭裁判所に申請書をだし、母名義だった「呪いの家」を解体し、更地にして売却した。未練も心残りも湧かなかった。嫌な思い出しかないあの家に永久におさらばできて清々しただけだ。

ま、私はまさに「負のエネルギー」をバネにして、餌にして生きてきたようなものです。暗黒世界。ブラックホール(笑)己の暗黒面に恐怖を感じる時もある。自分が自分でこわい。それもあってあまり長生きしたくない。

私は適えられなかったけど本来、子どもは大人からハグされ、「大好き」「愛してる」「いい子」と褒めてもらう存在であって、その逆に私のように、「愛してるから打つ」って言われ、暴力を振るわれ、「あのクソガキは生意気だから殴られて当然」と言われるために生まれて来た子なんか一人もいない。子どもはみんな愛すべき存在のはず。

あの中学生には「あんたはいい子」「何も悪くないよ」「ビンタを貰う理由なんかどこにもない」って言って、思い切りハグしてあげたい気分です。日野さんもあの場面で、暴力振るわずしっかりハグしてあげればよかったんですよ。そうじゃなくても、あの子はドラム叩いてただけです。だったら世界的音楽家で、数多の修羅場をくぐってきただろう日野さんなら、暴力じゃなく、音楽で返すべきでしたね。

教育ジャーナリストとして、いいことたくさん発信してきた保坂展人世田谷区長(@hosakanobuto )が、まさかDVに苦しむ子供たちを育成する事業の責任者とはね。笑えない。

あ、母が暴力をふるった理由はね、もちろん愛じゃないよ。本人は愛してるからとは言ってたけど、思わず口走る無意識の言葉の中にはね「あんたなんか生まれてこなきゃよかった」「あんたがお腹の中にいなきゃこの家を出て行けたのに」「こんなの(私が患った腫瘍とか心臓疾患とかアレルギーとか)は、うちの家系にはいない」「あんたの中の汚れた血は全部お父さんの家系から来てる」とか。

つまり、もっとかまってほしい父や、嫁いびりする父方の祖父母に対する怒りや恨みであって決して私への愛情からではなかった。

先日、母の介護のため熊本に帰省した時、母の弟夫婦に聞いた話だけど、母は親戚の前ではもの凄く私を褒めてたらしい。けど、私は親からたった一度も褒められたことがない。それをどんなに話しても親戚は信じてくれません。

そういえば昔、母親から暴力を振るわれたと親戚にSOSを発したことが何度かある。するとそのたびに叔父と叔母は言うのです。「そりゃ、あんたが何か悪いことしたからじゃないの?」「親の言うこと聞かなかったからでしょ?」「親は子供のためを思って叱るんだから、そんないい方しちゃダメだよ」と。ま、実の姉が日常的に暴力振るうなんぞ、俄かには信じがたいし、信じたくなかっただろう。それが子供心にも理解できたから、それから二度と大人に助けを求めようとは思わなくなった。

誰もわかってくれなかった。いけないのはいっつも私。悪いのは私。悪い子だから暴力振るわれる。だから「いい子」にしなさい。

そりゃそうだ。DV経験なきゃわかんないよ。幸せな人たちだ。

わかりますか?

暴力をふるう大人は歪んだ愛情表現で子供を傷つける。
でも、自分じゃまったくそのことに気が付いてない。殴るのは愛してるからと信じ込んでるから厄介だし罪深い。

DVを受けた経験がある人ならきっぱりと言える。


愛の鞭なんか、この世にあってたまるかっ!

2017年09月06日 (水) | 編集 |
↓の投稿にもある今回の日野氏ビンタ事件で、世田谷区議会の自民・公明・民進が保坂区長サイドに付いたとの情報の件。
区内で起きた子供の人権にかかわる深刻な問題のはずなのに、普通に考えたら、声を真っ先に挙げるはずの世田谷区議さんたちが、特に文教が、不気味なほど沈黙を守っていたり、当日あの会場にいて、twitterでもその件を投稿(それも絶賛する内容)していた公明の区議さんが、あっという間にその記事を削除したり、ものすごく異様。
さもありなん。やっぱりね!
だって保坂区長や教育委員会に異議を唱える私への恫喝や怪メールの中身が、俗にいう「ネトウヨ」そのものなんだよ。
以前の保坂さん支持者とは対極の住人達が、保坂さんの後ろについて日野氏擁護に動いている。間違いない。
裏で、世田谷区議会はすでに、世論と真逆の方向に動いてるってこと。
世田谷区内の公立学校で教師による陰湿な体罰がはびこっているという情報も、こうなると俄かに信憑性が増してくる。保坂さんが区長だからそんなはずはないって、ずっと信じなかったけど。
バカでした、あたし。

★寮美千子‏ @ryomichico 
日野皓正氏のビンタ事件で、近しい人物から電話が「誤解されている。信頼関係あってのあの場面だ」と。いや、状況関係なくダメなんだと言っても通じない。保坂氏のヌルイ対応、危機管理ができてないというと「危機だと思っていない」「そもそも問題にすべきことではない」と。側近がこれじゃダメだな。
日野皓正氏のビンタ事件、世田谷からの新情報。この件は、リベラル派の議員が最初に問題にしたのだが、結果として、自民公民が保坂氏を支持するといった不思議な構図になっている。リベラル派のPTAも始めは批判的だったが、いまでは「うちの子もこのバンドに入れて鍛えてもらおうかしら」と。あらら
日野皓正氏のビンタ事件でわかったのは、日本社会全般の暴力への親和性の高さ。はっきりと暴力を否定するメディアよりも、歯切れの悪いもの、日野氏に同情したり賞賛したりするものが多い。暴力を否定する人を「物事を単純化しすぎ」「だから日本文化が廃れる」と批難する声も多数。やれやれ。
大人と子ども、教師と生徒、男と女は圧倒的に非対称な力関係。「ビンタ」によるコミュニケーションなんてありえない。それは暴力によるパワーハラスメント。それを「愛」と名づけるのは欺瞞。ビンタされた側が「愛」と感じてしまうのだとしたら、その構図自体が歪んでいる。被害はさらに根深い。
共依存そのものですよね。
近しい某氏が「あれは暴力じゃなくて、コミュニケーション。普段からあれくらいのことはあった。子どもは傷ついていない。愛だと思っている」と。もしそれが事実だとしたら、普段からよっぽど歪んでいて、そんな人に、子どもを指導させちゃいけない。周囲の基準も狂ってる。
「おまえを愛しているから殴るんだ」という父親に育てられた娘は、大人になったときに、自分を殴る男を「愛ゆえにわたしを殴るんだ」と誤認してDVの餌食になりやすい。多くの人が「愛故に殴る」を共同幻想としている日本が見えてきて、うんざりしました。