薫の野郎猫的日常
2017年05月05日 (金) | 編集 |
日本国憲法とは/『いとし子よ』長崎被爆者永井隆さんの遺言
長崎の被爆者永井隆医師の遺言

医師であり、被爆者である永井先生。

放射線医学の専門であり、長崎の原爆は700メートルの距離にある長崎医大の診察室にて被爆。救護本部を設置して被爆者の救護にあたり、「原子爆弾救護報告書」を書かれています。(長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井先生が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録した「長崎の鐘」はのちに、サトウハチローの詞と古関裕而の曲、藤山一郎歌唱にて大ヒットしました。)

偶然に永井さんの遺言を読む機会がありました。
ときあたかも長崎の原爆忌。

今の日本を予兆しているような内容と共に、
もう一度平和の意味を考えたいと思いました。

亡くなられたのは1951年。
今から66年前の祈りの言葉。
こちらに転載させて下さい。

父の形見のメダイとロザリオ 
(長崎被爆者でカソリック信者だった亡父の形見のメダイとロザリオ)

今だからこそ、
ぜひとも一人でも多くの日本国民に、
亡父と同じ長崎被爆者であり、
医師である永井隆先生の遺言を読んで戴き、
親しい方、愛する方へと永く語り伝えていただきたいのです。


「いとし子よ」

いとし子よ。

あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、

お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。

そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。

原子爆弾。いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を殺すために原子が浦上にやってきたわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。

戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。

そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて「戦争はもうこりごりだ。これきり戦争を永久にやめることにしよう」

…そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと
戦争がしたくなってくるのである。

私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

我が子よ。憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。

憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。

どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。

もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。

敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。

しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。

オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。

ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。