薫の野郎猫的日常
2015年08月30日 (日) | 編集 |
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お疲れ様でした!
12時から16時半までいました!
高校生のコーラスは一緒に歌えましたが
その後はシールズや野党幹部や坂本教授の声は聞こえど姿は見えず(笑)

道路に人が埋め尽くされていないのは、人がいないんじゃなくて、
道路を警察にふさがれていて、写真に写りきらない人間が、
その向こうの緑地帯や憲政会館などの施設サイドに山のようにいたんです。
私、この目で、見ました!

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凄い人でした。
ドミノ倒しで圧死しなくてよかったぁ♪

12万分の1になれて幸せでした!!
(延べ35万人とのことです!!!)
さて、
全国370ヶ所で行われた抗議集会参加人数の総計はどれほどになるだろうか?

しっかし…
マジで「人の流れに身を任せぇ~♪」って歌いたくなるくらいに凄い人でした!
よくもまぁ、あれでドミノ倒しにならなかったものですわ(笑)
さすが日本人❤
流れに逆らわず、ただただ流れておりました。

そうそう、記憶に残るこの瞬間!
決壊のこの瞬間に立ち会えたことに感謝!
非暴力の民衆の数の勢いに負けて、
警察官や機動隊が蜘蛛の子散らすように四方八方に散って行ったのが
内心、小気味よかった。
でもあれだけの人数が集まっても暴動や暴徒化したりすることもなく、
小競り合いや意地悪する人もなく、整然と、
でも怒りを込めて権力へ思いの丈を叫んでいる民衆の姿を誇りに思いました。


⇒国会議事堂前デモ 歩道に人があふれた瞬間(2015年8月30日)


で、某放送局で参加人数3万人って伝えていたんだけど。
夕方4時半に帰宅するとき、国会前から憲政会館方面へ入って行ったんだけど、
そこには驚くほど人がいて、尚且つ、これからデモに参加する人がどんどん国会方面へ歩いていた。
国会前のデモに何度か参加しているけど、これには驚いた。凄いことだと思った。
3万人って言うと武道館2回まわしか、ドーム級のコンサート満員より少ないってことでしょ?
ないない!
30日の国会前の混み具合ってそんなもんじゃなかったよぉ~~♪
っていうか、国会前だけじゃないんだから。
国会裏も周辺の霞が関も日比谷もどこもかしこもプラカード持参の人だらけだったのよ。

これで3万人っていうのはねぇ、ちょっと(笑)

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帰宅後のシャワーと焼肉と冷えた焼酎で極楽!!
山椒醤油でいただいた炙りダコも天国の味でした♪






2015年08月30日 (日) | 編集 |
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今日、8月30日は「国会前ネコ歩き」の日
ツメをとぉ~ぎとぎ
国会議事堂前にいざ出陣!!

気合い入れていくぞ 
気合入れていくぞ、オメーら!!

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2015年8月30日(日)
今日と言う日を
私たち民衆の力で記録と記憶に残る日にして見せます!

今日、国会前で午後1時ごろから高校生たちが唄うレミゼの「民衆の歌」はこのバージョンらしい♪
「民衆の歌が聞こえるか」 自由の森学園 2011音楽祭

歌詞をプリントアウト完了!
もちろん、最大限に文字サイズ拡大したヤツ(笑)
これで一緒に歌えるぞ!!


【本日】
まさに全国の民意に包囲される安倍政権。
「戦争法案」絶対廃案!
国会から遠い人は『全国100万人大行動』に参加して、戦争反対の意思を示そう!
詳細は→ http://sogakari.com/?p=797 
#本当に止める #安倍政権打倒
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冗談抜きで今日は、
日本全国津々浦々で戦争法案廃案の国民集会が行われます。







2015年08月29日 (土) | 編集 |
★あ~~~!うっかりキッチンの開き戸のセーフィティロック閉め忘れてたもんで、開けられて米袋齧られて…辺り一面悲惨なことに!!!

★TOKYO Tシャツのデザインぱくったのがばれて修正依頼されたからちょっといじったんだけどダサダサだったんで再度修正依頼かけられらからリエージュぱくった、って感じぃ?も~~~今更の説明会見するよりお願いだから白紙撤回しようよ!今日の会見でもっと疑惑深まっただけじゃないの?ってかさぁ、なんでここまでしてこのデザインにこだわるの?国民感情より、すでにこのエンブレムで動き始めてしまってるスポンサー企業の利益しか考えてないでしょ?コンペして、原案がだめだからって一人のデザインを2回もやり直しできるって…そんなに他の人たちの案がだめだったのか?って話だよね?パクリもだし、佐野さんに決まるまでの経緯もおかしいですよ。怪しすぎる。⇒【炎上】オリンピック委員会が佐野研二郎の原案を披露してさらに墓穴を掘る  
http://netgeek.biz/archives/47145

★国立競技場もさ、建てないっていう案だって出てもいいじゃないですか?
きむらとも @kimuratomo 
すごいな遠藤五輪担当大臣、新国立競技場の冷房に100億使うより、具合悪くなった人の救護施設に10億使う方がいいと。「温暖な気候」と世界を騙して「猛暑炎天下」の東京に五輪招致。屋根も冷房も無しの競技場での熱中症観客発生が「前提」とは。こんな危険なオリンピック、観に行かぬ方が安全だ。







2015年08月26日 (水) | 編集 |
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千太組全員集合!
千太も百もジュサも染もみんないるよね!!




2015年08月17日 (月) | 編集 |

あ~~~、朝っぱらから気分悪い!
早朝のニュース観たけど、桜島、ペット置き去りだ。
軒先に鎖に繋いだままだわ。

このまま何も起きず終息すればいいけど、もし噴火して立ち入り禁止期間が長期化したら生きたまま焼死か餓死?
お年寄りが多いから最悪のケースになった時の自責の念による精神的負担は計り知れない。
福島や口永良部島と同じ悲劇がまた繰り返される。
口永良部島の噴火でも今も家畜やお外自由の子たちは置き去りだし、今回の桜島でも消防団付添いて帰宅しても同行避難不可ということは、県行政として同行避難不可と理解せねばならないのでしょうね。

NHK生活・防災 @nhk_seikatsu 
【桜島 避難勧告地域の住民が一時帰宅】噴火警戒レベルが4に引き上げられ、一部に避難勧告が出された鹿児島市の桜島では対象地域から避難した住民たちが自宅に置いてきた薬などを持ち帰るため、16日午後から一時帰宅しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150816/k10010192141000.html

え???!!!
↑でTV報道されたおばあさんの家って鎖に繋いだままの犬だけじゃないの?
猫もいるんですか?
どこにいるの?
まさか家の中に閉じ込めじゃないですよね??
⇒桜島避難住民、30分間の一時帰宅 「必要な荷物だけ」:朝日新聞デジタル

鹿児島市役所危機管理課に問い合わせた人のブログを読んだけど、鹿児島市自体は環境省からのガイドラインに則り、同行避難を原則禁じてはいない。が、ペット同行避難は今も検討中とのこと。口永良部島の時から全く進展なし。つまりは「飼い主次第」ということ。飼い主が一緒に逃げたいと思うならどうぞ自由に、ということ。それは世田谷区とほぼ同じです。

居住区域は同行避難可能だと事前に知っていれば、知らされていて理解したうえでの身を切るような判断であればまだいいのですが・・・(決してよくはないけど、でも理解しようとは懸命に務めるつもり)

でも、こういう状況になると必ず出てくるのが、↓のようなご意見。

「なぜ桜島にペットを置き去りにするのか…と、心を痛めている方々がいる。その気持ちは理解できます。私もつらいです。けれど、鹿児島の田舎…特に高齢者とペットの関係を考えると、ただ一概に受け入れ体制だけを責めることは出来ないと思います。
http://worldismine.info/838.html 」

田舎の高齢者とペットの関係。そこにすべてを集約して、だからどうしようもないこともあるし、仕方ない点も多々ある、と言いたいわけね。もちろん、「犬は番犬。だから家を護り、家とともに心中せよ」みたいな高齢者の意識改革も必要だろうけど、そのためにはまず行政の意識改革が必要じゃないのかな?それに犬は番犬だからだろうけど、じゃ猫は?一緒に逃げればいいのに何で置いていくの?まさか猫も家を護らにゃならんのかいな?で、なぜに行政は飼い主が置き去りにするがままにさせる?一緒に逃げるようなぜに一言も言わない?こうなる前に飼い主への啓蒙活動って何かやってたのかな?


鹿児島市が災害が起きるずっと前から同行避難できると回覧板なり消防団なり警察なりを通じて知らせていたか、飼い主が避難するときにペットも一緒に逃げていいと理解できていたか。行政からの事前通知が万全で、避難時や一時帰宅時に、飼い主はすべて承知した上で、それでも置いていくのと、全く何も知らされていない、無知なままで置き去りにするのとでは天と地の差があります。

口永良部島の噴火のときだって、頻繁に一時帰宅できているうちは良かったが、長期化してどんどん一時帰宅する間隔が遠くなるにつれ、飼い主たちは島の消防団を通じて屋久島の役場へペットの避難を申し出始めた。鎖に繋がれていた子や家の中にいた子は何とか連れてくることができたし、家畜も畜主さんが行政に頼らず自分だけで船を出して連れてきた人もいた。が、そうじゃない家畜やお外自由の子たちは今も島に置き去りだ。6月の段階で国会で質疑応答があったままであるとして、一体今、どれくらいの命がまだ取り残され、またはどれほどの命が福島と同じように苦しみながら果ててしまったのか。行政はすべて終息したのち、必ず報告書としてこの事実を公開してほしいものです。

口永良部島と桜島。同じ鹿児島の中で起きていることですから、役場同士で経験や体験、情報を共有することは可能でしょう。役場を通じて、桜島のお年寄りたちが口永良部島でのことも含め、福島や広島の災害で起きたこともすべて知らされ、わかった上で置き去りにしているかどうか。私は知りたいです。
 
何かというと田舎だから、都会だからとかの区別、差別で判断してもらおうとするのはいかがなものか。なんだかそこに逃げこんでいるようで・・・安易すぎる気がしてならない。そんなことだからいつまでたっても同じ過ちを繰り返してしまうんじゃないだろうか。

なんだかやることは他人任せで出てくる言葉もどこか他人事のような響きが気になるなぁ。気になることがあるなら率先して自分からやろうよ。大切な命を護れるのは誰でもない自分だけなんだから。行政巻き込んで、仲間巻き込んで。田舎だって充分やれることはあるし、やんなきゃならんことはあるんでしょう、きっと。要はそれをやってるかどうかだと思うよ。

★口永良部島大噴火時のペットについての拙ブログ内の参考資料
【避難地域の近所にお住いの方限定】口永良部島から「同行避難」してきたペットたちの預かりさん大募集!!(随時更新) http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1743.html
口永良部島のペット最新情報 http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1744.html
口永良部島残留家畜&ペット数と今後の対策(6月4日現在) http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1746.html


★追記(2015年8月18日)
※桜島いつ噴火しても…避難長期化でペットも(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150818-00000054-nnn-soci

※MBCニュース 桜島警戒続く ペット連れ出す 桜島の噴火警戒レベルが4に引き上げられてから18日で4日目です。午後から、住民の避難でとり残されていたペットを連れ出す作業が行われています。http://mbc.jp/s/00A 

沈黙を続けていた被災飼い主さんたちが行政にやっとこさ声を上げ始めたんですね。手遅れになる前でよかった。で、救出されたり、救出予定なのは犬、亀、インコって出てきたのですが、まさか猫だけ置き去りってことはないですよね?ま、でもよかったです。私たち部外者100人のお願いより被災飼い主さん1人の「助けて」の声、ですよ!被災ペットの飼い主さんが行動を起こさなければ行政も動きません。


★是非一度お読みください。  
世田谷区の同伴避難、災害時ペット対策のあゆみ 
 
☆ブログ:野郎猫集団「千太組」同伴避難/マイクロチップカテゴリ 
 
 
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-category-26.html  






2015年08月15日 (土) | 編集 |
今日は70年目の終戦(敗戦)の日。
心静かに祈りと感謝に包まれた日を過ごそうと思います。
昨日の安倍談話にまだ胸焼け気味だけど、
でも去年から、今日という日は我が家にとって嬉しい記念日になったのよ。


バンの保護主様へ

こんばんは。
毎日暑い日が続いておりますがお変わりありませんか?
 
S0164024[1]
早いもので、15日で万里が我が家に来て1年。
今考えるとあっという間。
バンの養育係の寿三郎との思いがけない別れという、
経験したくない悲しい出来事も、
バンの優しい心に助けられなんとかここまで参りました。
バンは本当に優しい。
包容力もあり、頼りっぱなしです。
文句なしのいい男ですよ。
 
S0174025[1]
抜歯して歯肉炎もひどい口臭や体臭や便臭も
スッカリ嘘のようになくなりました。
リンパ腺の腫れも消滅しました。
食欲旺盛で、ご覧のように立派な体格。
ちょっとダイエットしなきゃ(笑)
相変わらず水を飲むときむせたり、食事した後に戻したりすることもあり、
口内炎は相変わらずですが、これもバンの一部と思い、
気長に付き合うつもりです。
 
S0304041[1]
先住とつるむでもなし、かといって仲が悪いでもなし。
いい距離感を維持しながら生活してます。
ま、たま~にジャイアン七海とやりあって喧嘩傷作ることもありますが、
人間が深刻になるようなレベルではないです。
 
S0284038[1]
1年経ってもまだまだ人間に対して警戒するようなところは残っています。
が、ビクつきながらも心許してくれますし、逃げても待ってればすぐ寄ってきて、
甘えてくれますし、嫌というほど顔や手を舐めてくれます。
最近では写真のように夜ごと私の寝場所のど真ん中を独占してくれてます。
 
S0384051[1]
表情もだいぶ穏やかになってきたのでは?
目もだいぶ丸くなってきましたしね。
視線を感じて振り向くと、こんな感じで、
可愛い顔してじ~っと見詰めてくれてる日が多くなってきました。
そんな時はぎゅ~っと抱きしめます。
ゴロゴロと喉を鳴らすことが苦手ですけど、バンなりに懸命に声と鼻を鳴らし、
ヘタッピながら喉を鳴らそうとしながら顔をすり寄せ、
ベロンベロン、口を舐めて応えてくれます。
 
S0514069[1]
幸せです♪


2015年8月15日
薫@千太組より






2015年08月12日 (水) | 編集 |
30年前の今日。
私は築地の広告代理店で日本航空の機内放送製作をしていた。
あの日から毎日TVで流れた、犠牲になられた皆様が耳にしただろうエマージェンシー・コールも私が作った。
あの日、搭乗の際、犠牲になられた方々が何気なく聞かれたであろう機内BGMも、
楽しんでおられただろう機内音楽や落語も、すべて私が作った。

この日からJALは一生、それがたとえインストルメンタルであろうと、坂本九さんにまつわるすべての楽曲を使用できなくなった。

30年前の今日。
いつものようにいつもの仕事をやって、いつものように残業して、
そしたら・・・
つけっぱなしのオフィスのTVでニュース速報が流れた。
あわてて上司が居そうな雀荘に片っ端から電話をした。
クライアントのオフィスにも連絡を入れた。
探し当てた上司が居る雀荘に状況説明をするため外に出た。
30度を超すムッとするような湿気の多いべたつく空気とにおいを鮮明に覚えている。

30年前の今日を境に、私と私の周りの生活は一変した。
思い出したくもない記憶。
でも忘れちゃいけない記憶。
忘れようとしたって忘れられない。
一生背負って行かなきゃならない思い出。
誰にも言えない、棺桶まで持っていく覚悟の記憶。
TVでもどこでも伝えていない忌まわしい思い出。

これもまた定と諦める。
祈りと鎮魂と溜息と諦めとなにもかもがごっちゃ混ぜの一日。

私の命が終わるまで毎年この日は私にとって特別な日。

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だけど、世界は美しい。





2015年08月09日 (日) | 編集 |
★平成27年 「長崎平和宣言」
「70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。」

「噂通り」当初の市の案には安保法案への言及がなかったが、「被爆地の市民としての強い懸念が伝わる表現にしてほしい」などの意見が委員から上がって盛り込まれた。
自公が過半数を超える長崎市議会。「安全保障関連法案の廃案を求める意見書の提出」も即否決。そんな中で市長とはいえ市議会の意に反する内容の平和宣言を全世界に向けて発信した意味は大きい。田上さんは安倍さんや長崎市議会ではなく、長崎市民、日本国民、世界人民に視線と心を向けていた。
安倍首相のスピーチの後の拍手は広島とは比較にならない程大きった。あの土地は今、自公が過半数を超える多数会派。長崎市議会で「戦争法案を廃案にする提案書」も否決。その中にあってのあの市長の平和宣言。市長と被爆者代表に対する拍手に負けてはならぬと自公支持者が総理へ大きな\拍手を送ったのでは。私の耳には、あの「拍手合戦」は、父が被爆した長崎の地においても、「民主主義」VS「安倍政権」の争いに聴こえました。

★また、2015年ノーベル平和賞の候補者にノミネートされた被爆者代表の谷口稜曄(すみてる)さん(86)は、この式典の「平和への誓い」の中で「戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今、集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。」と述べました。

そんな谷口さんの「平和への誓い」全文をここにご紹介したいと思います。谷口さんにとっても「平和の誓い」を述べるのは、1974年以来41年ぶり2回目のことだったそうです。さぞかし、戦争法案に対する危機感がおありだったのだと拝察します。

「 70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。

 真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。

 この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。

 地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。

 70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。

 爆心地から1・8kmの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩(たた)きつけられました。

 しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

 それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏(ぶ)せのままで死の淵(ふち)をさまよいました。

 そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。

 かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。

 あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。

 戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。

 しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。

 今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。

 核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。

 私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

平成27年8月9日

被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)」


2015年08月09日 (日) | 編集 |
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70年目の長崎原爆忌。

父の人生を再び狂わせた日。
満州から引き揚げ、熊本へ。
働かない父親の代わりに愛しい母親と妹を食べさせるため働きに出た長崎で被爆。
その後、肺結核を患い熊本のサナトリウム「再春館」で療養。
片肺を切除。
もう片方の肺も肺気腫で最期まで苦しみ続けた。

昭和20年8月9日  午前11時2分
当時の長崎市の人口推定24万人のうち約7万4千人の命が一瞬のうちに消えた日。

浦上天主堂前の被爆マリア像 
浦上天主堂の被爆聖人像

廃墟となった大浦天主堂のレプリカ(原爆資料館) 
廃墟と化した大浦天主堂のレプリカ(原爆資料館)

「昔のことは思い出したくない」

父は息を引き取るまで多くを語らず。
ただただ毎年、原爆忌に広島と長崎のため祈っておりました。

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だから、私も父に倣って祈りつづけます。
父の形見のクルスとメダイとともに。

みな同じです。

どこも同じです。

被爆地、被災地、戦地で苦しむすべての、世界中の地域のために。

二度と繰り返さぬよう!

二度と繰り返させぬように!



【祈りながらも、ふつふつと湧き上がる猛き心を抑えきれずにおります。
思いの丈を追記にて書き殴ることをお許しください】



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2015年08月08日 (土) | 編集 |
UME GO DEMO20150808

世田谷区豪徳寺から梅丘へ向かう戦争法案反対UME GO DEMO。
今日は2回目。

参加してまいりました。

参加した世田谷区民、1回目より2~30人は確実に増えていると感じました。
120人は超えていたと思います。

今回は、車椅子の方も参加されました。

前回とデモ通路変更もあってか、前回の様に沿道に大勢の人はいなかったけど、
今回もお住まいのベランダやお店の中から手を振って応援していただきました。


★次回はシールズの呼びかけに応え、今月23日(日)、下北沢で企画。

※社民党の区議さんが梅丘で戦争法案反対の街宣と署名活動をされていたので、お互いにエールを交わしたのですが。。。
1回目のデモの時も心から思ったことですが、中央も世田谷も、どうしてこう野党はバラバラなんだろう。中央も世田谷も与党の暴走行為でほとほと困り果てている。民主主義の否定と法治国家、立憲主義が侵されている、この国の危機的状況下で野党がバラバラに活動するのはもったいない限り。協働できないですか?

世田谷区議会の野党区議の皆様。
次回は23日(日)下北沢にてデモしますので、是非ともご一緒に!!




2015年08月06日 (木) | 編集 |
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70年目の広島原爆忌。

朝からお線香を焚いています。

犠牲になられた方々とご遺族、
そして今も後遺症に苦しまれている皆様のことを思う一日。

この日だけは心安らかに、祈りの日でありたいと思います。

絵は藤城清二さんの描く広島。





2015年08月04日 (火) | 編集 |
「法的安定性を著しく欠く集団といえば、日本には昔、政府の政策を無視、陸軍中央の方針さえ無視して突っ走る関東軍というのがいたはずだよね。そこまで時計の針を戻しますか?」(作家 松井計氏のtwitterより)

★多くの学者たちが違憲といった戦争法案。国民の8割以上が「廃案」とデモ行進する戦争法案。なのに、衆院を数の暴力で強行採決した自公政権。最近では、安倍さんの側近が「法的安定性は関係ない」と言ったり、若手自民党員が「戦争に行きたくないなんて自己中心的以外の何物でもない」「基本的人権こそが日本人をダメにする」と言って大炎上。戦争法案の賛成派はデモ行進しながらヘイトスピーチ。ナチの旗や星条旗まで平気で掲げている。トイレに安倍総理の悪口を書いた人を警視庁が逮捕しようと捜査している。いったいこの国はどうなってしまったのか?

磯崎も坪井も木原も大西も武藤も一般市民で自分の主義主張をSNSで自慢げに披露する分には何のお咎めもなかろうが、彼らは日本国民から選ばれ、日本国憲法に保障された身分を持つれっきとしたこの国の政治家なのだということを、どうもお忘れのようです。それがとても恐ろしい。

★保守派の集会やデモ、以前の職場が銀座築地だったこともあり飽きるほど見てました。いっぱいいらっしゃいましたよ、今回問題になっているような方たち。「いろんな旗」もはためいてましたね。保守王国熊本なんて反自民の声を上げたら、集会の隣で街宣車から「死ね」「殺す」って大騒ぎされますもんね。

★関東軍と言えば満州で少年~青年期を過ごした今は亡き父。「昔を思い出したくない」と得意だったはずのスケートも教えてもらえず、雛から育てた「肩乗りスズメ」のこと以外は思い出話ひとつしてくれなかった。帰国した後、母と妹を食べさせるために行った長崎で被爆もしちゃってるからな。最悪だよね。

父の父親は稀代の遊び人で全く働かず。全部父に丸投げして自分は放蕩三昧。被爆してまで守りたかった母と妹も、満州から帰ってすぐ、栄養失調とストレスから次々に亡くなり、父は一人ぼっちになった。父にとっての戦争はこんな感じ。なのに、いつか「あの場所」に帰りたいと中国語を独学してた。

願いは叶わなかったけどね。。。可哀そうだった。

母の父親は戦前戦中、台湾で警官やってました。ポケットモンキーを飼ってたって。裕福な暮らしをしていたようです。が、熊本に帰ったら畑仕事。年の離れた兄弟がいたから長女の母がその分頑張ったらしい。性格が真面目だから、学校から帰ったら畑仕事を手伝う毎日。

熊本であっても毎日、奇襲のように、機銃掃射があり、いつ銃弾が飛んでくるかわからず怖い思いをしたそうだ。でも母には両親も兄弟もいて、戦争で一人も亡くなることはなかったので、父に比べたら幸せだったと思います。母からは戦争の話をたくさん聞くことができました。

父は一切戦争の話をすることはなかったけど、その分、遊び人の祖父からはそれこそいろんな話を聞くことができました。明治生まれなのに、ピアノとかオルガンとかたしなんでたんですから、どれだけ遊んでたかわかるってもんですよ(笑)

松野頼三、頼久父子と同じ山鹿出身、昭和45年に熊本市長に初当選、以後4期16年、熊本市長を務めた人物の親戚ということも手伝って、亡父は熊本市役所のバリバリの自民党員。母は郵政省系列の役所の国家公務員で、共産、社会両党を支持し、職場の組合の書記長を務めたバリバリのキャリアウーマン。

その2人の間に生まれた私だからなぁ。なんでもありなんですよ、正直な話(笑)なんでもいいっていうか、真ん中も含めどっちにもいけるっていうか。その時々のいいところだけ、つまみ食いして生きていける。

父方の親戚からは昔っから「あんたのお父さんの家は代々、医者と政治家が沢山出てるのに、爺さんはもうどうしようもなか人!あんたは絶対にあんな生き方はしたらいかん!」って呪文のように言われ続けました。ホント、呪文(自爆)子供には親の良い所しか言っちゃいかんですよ。

戦後70年。
「戦後は終わった」って言われ始めた年に生まれたから、ギリギリ戦争のにおいを嗅ぐこともできるし、平和を謳歌することもできる。バブルも知ってる。だから今、とても恐ろしい方向に進んでいることも動物的勘で感じ取れる。今のままじゃ、嫌な時代になるよ。もうなってるけどね。

急展開するのじゃなく、知らない間にじわじわと匍匐前進して近寄ってくる暗い影。

しっかり目を見開いて、じっくりと観察し、ちょっとした変化にも敏感に。

そして、声を上げ始めた若者や高校生たちのように、躊躇せず、声を上げましょう。

「王様は裸だ!!!!」