薫の野郎猫的日常
2017年09月19日 (火) | 編集 |
20170918234321.jpg 
★NHKドキュメンタリー - ありのままの最期 末期がんの“看取(みと)り医師” 死までの450日  http://www4.nhk.or.jp/P4614/x/2017-09-18/21/31148/2935010/

え~、終末(期)鎮静 (①終末期鎮静 http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1828.html ②日本における「平穏死」について http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-2056.html)は途中で止めちゃうし、DN(A)R⇒Do Not (Attempt) Resuscitate(終末期、積極的延命の中止についてのお勉強 http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1925.html)も守らない…やっぱり近親者(この場合は、夫と同じ医師で僧侶の奥様の貞雅氏)が主治医だとこうなっちゃうんだなぁ。看取る者が配偶者や家族でなければきっと、死にゆく方のリビング・ウィルのままの医療措置を、ただ粛々と行っているだろう医療従事者だろうに。葬祭所についていけないと、最後のお見送りにも行けないくらいに乱れて泣き崩れてしまう…人間として理解はするが、プロの介護者、医療従事者の立場から見たら、私は粛々と、死にゆく方の最期の望み(リヴィング・ウィル)を適えてあげてほしいなぁ。でもお寺の境内に終末期ケアの病院があるのっていいなぁ。近所にあったらぜひともお世話になりたい場所だったわ。

まぁ、私なんて毎日この繰り返しですからね。介護職で看取り経験がある者や終末期ケアを生業としている者と、そうでない者。近親者の現在進行形介護者である者(経験済みの者)、まだの者等々。見る方の環境で、さまざまな観方、思い、感想があるだろうと思います。

最近、ドキュメンタリー部門の枠内のみ、NHKの本気度を目の当たりにすることが多くなりました。時間をかけて丁寧にじっくりと作り上げていく良作が多いので、この作品も見てみましたが、想像以上によくできてました。死にゆく者も看取る者も、普通の人たち。でも努力しがんばってる普通の人たち。その方々のジタバタぶりをただゆっくりと、なんの味付けもなく切り取っていく。亡くなった方の死に顔も、骨上げの骨まで見せてしまう。医師であり僧侶でもあった田中雅博氏の死に顔のなんて美しいこと!こんなきれいな死に顔ってなかなか拝見できないので、失礼ながら「うわぁ、きれい!」と何度もつぶやきながら、惚れ惚れして見入ってしまいました。

これが死ぬ、ということなんです。

なんでもない。特別なことなど何もない。人が死ぬということなんです。

もし再放送があれば、ぜひともご覧になってほしい。

2017年08月21日 (月) | 編集 |
今夜放送されたフジTVの#ミスターサンデーの老々介護家族について。

遠距離介護するDに自分を、認知症進行中のお母さまと暮らす父様の姿に我が両親を、彼らを支えるヘルパーや包括支援センターに我が仕事を重ねてしまう。(老々)介護問題を演出なしで淡々と紹介する姿勢に好感が持てた。この番組にしちゃ、とってもいい特集でしたね。

ま、私の場合は、両親同時に要介護になったせいもあり、クリアだけど車いす生活だった父が認知症の母との生活に限界を感じ、主治医も両親だけの生活に対しNOを出したのを機に、両親共々施設入所に踏み切ったので、番組の家族とはまた別の道を進んだわけですが。それはそれで別の苦労も生まれるわけで。

番組の中でも言ってたけど、人の子である以上、両親と早くに死に別れていなければ、誰でも必ず通る道なわけで。介護の次は相続(争族)も来るしね。ま、番組のDも私も一人っ子なので、介護はだれにも邪魔されず、自分の思うようにできるし、相続問題も免れてラッキー。

要介護家族を介護する被介護家族の立場も、彼らを支援する介護職としての立場もよ~く分かるから見えることなんだと思うが、どの立場にいる人間にも平等に、全体を俯瞰するように切り取っていく今夜のあの特集の作り方は結構好きだし、介護を取り上げる場合、結構大切な立ち位置だと思う。

観ている側に、どの立場の人間の状態をも理解しやすい作り方になっているから、すでに当事者になっていれば、シンパシーを感じ、元気や勇気をもらえるし、これからの人の場合は、家族全員で介護に対して話し合うきっかけにもなると思う。

ただ、同居できない、遠距離介護するしかない家族に対し、包括支援センター全部が全部、番組で紹介されていたように「あなたは十分に頑張っているから、あとのことは私たちプロに任せていいですよ」と言えるかと言えばそうではないのです。その地域に家族がいないとサービス提供しないと言ったり、自分たちの仕事までも全部家族に押し付け、それを拒むと家族失格のような烙印を押そうとしたり、月1度施設に親の顔見に帰ってこいとか、自分たちの方針に家族を強引に従わせようとしたり、それが無理だとわかると、ここでは面倒看れないと脅迫したり(私がしたがうことを拒否したのはもちろん、施設と交わした契約書に書いてある条件以外のことです)する「介護のプロ」も案外大勢いるのでね。

私も今まで多大なショックと心痛を味わったのでね。ただ私の場合は、あっという間に両親とも同時に要介護となってしまったため、年の半分以上が海外出張だった仕事を続けることが困難になり、今でいう介護離職せねばならないところまで追い込まれたため、辞職し、介護の勉強を経て介護職に就いているので、他の人より介護のイロハを知ってたおかげで、そういう場合はさっさとケアマネや介護サービスを別の所と交代できることを知っているので、時間をかけて話し合っても理解してもらえない場合は、気持ちを切り替えて自分と相性のいい人間や企業と巡り合うまで戦ったし諦めなかった。そこが番組のDと決定的に違う所かな。ま、普通は介護職か、被介護者(家族)かいずれかの立場しか経験しないのだけれど、私の場合は両方経験しているから、医療従事者や同業者の人からは、話が速くて助かるとありがたがられることもあるが、本音は誤魔化しが効かないからやりづらいと思います。

得てして家族は親を家で最期まで面倒看きれず他所に預けることで自責の念や体裁に縛られ無理をしがちですが、そういうのはさっさと捨ててしまえばいい。自分ができることはこれだけです、これ以上はできませんと認めてお腹を見せるが勝ちです。

そういう意味でも、番組中でも言ってた「介護はシェアする」って考えはとても大切。 

この番組だけじゃ介護は語りつくせないけど、でも、介護初級者へのとっかかりとしてはとても重要なエッセンスを多く含んでて、とてもいいと思いました。



2017年07月20日 (木) | 編集 |
DSCF8662[1] 
お気に入りの眼鏡。
何度目かの修理。
介護のお仕事してると「アクシデント」はつきもの。
今回は少々重症でした。
鼻あて、ブリッジ、丁番、つるがすべてグニャッと曲がってしまった。
仕事の合間を縫って、毎回お世話になってる近所の個人商店の眼鏡屋さんへ!
「ダメだったらフレーム買い換えます」
でもさすがプロですね。
丁寧に直していただき、今回もまた、使えるようにしていただきました。
2000円で済みました。
本当にありがたい!!
「仕事がら、相手に弁償してもらうってことできないしな」と、親父さん。
そうなんです、できないんです。
でも、相手も悪気があってやったことじゃないですから。
仕方ないんです。
自己責任です。

2017年07月19日 (水) | 編集 |

Yahoo!ニュース‏ @YahooNewsTopics 
【NZ人男性が急死 拘束を非難】NZ人男性が神奈川県大和市の精神科病院で身体拘束を受けたあと、心臓発作で亡くなった。遺族らが会見を開き、「不必要な拘束やめるべき」と訴えた。 
https://yahoo.jp/eRCq7q


※人権がしっかり確立している国の方からみたら、日本がどれほど野蛮に見えるのか。想像に難くありません。だって私もそう思いますもん。このご家族までひどくなかったけど、私たち母娘も経験者ですから。

拙ブログの常連さんなら、もうご存じのはず。
★認知症になった母が悪いのか?
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1454.html
★優しすぎる施設はいい施設?
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1696.html
★母の骨折入院、その後。
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1793.html

身体拘束と言うと、精神疾患患者や高齢者や認知症患者に対し、ベッドに体を縛り付け行動を抑制する等の行為という認識が一般的ですが、実は身体拘束にはそれ以外に薬の使用や言葉といった「スリーロック」と呼ばれる三つの拘束があります。

①フィジカルロック(一般的に言う道具を使っての身体拘束)
②スピーチロック(「~しちゃダメ!」等、言語によって相手の自由を奪う)
③ドラッグロック(過剰な薬物投与により身体と思考能力を縛る)の3つです。


要介護5の母も実は施設スタッフとの折り合いが悪さが原因で問題行動をおこしてたのに、家族である私がそれをどんなに訴えても理解してもらえず、病気のせいにされ、病院と施設からドラッグロックやられて弁護士に相談したことありました。

少しずつ問題意識共有の空気になりつつありますが、日本って安易に拘束やり過ぎです。

病気になっても人間ですもの。喜怒哀楽くらいありますよ。なぜ病気になった人は怒っちゃいけないの?言葉が自由に操れないから、気にいらないことや、わかってほしいこと、不安なこと、不満なことを何とか相手に伝えたくて暴れたり暴力をふるうことがほとんどですよ。満足したり納得したり、それ以上に、相手が自分の思いを理解してくれたとわかると、途端に穏やかになるんです。笑顔が浮かびます。優しくなります。だからといって四六時中、ニコニコしてるはずはないんです。またイラついたり怒ったり叩いたりします。それがどうしてダメなんでしょう?普通のニンゲンなら許されることが、なぜこの病気の人には許されないで縛られたり怒られたり薬で大人しくさせられなきゃならないんですか?なぜこの病気の人はいつもニコニコしてないと「不穏」って言われるの?

「薬を抜いたら暴れだして責任が取れない」と施設側は反対したが、私が大騒ぎした結果、減薬が進み、現在、母は投薬ほぼゼロ。

なのに全く暴れない。

なぜか?

折り合いの悪かった担当スタッフが退職し、ものすごく気が付くい優しいスタッフが担当になったから。

あのドラッグロックはまったく無意味だったってことです。

この病気は暴れる、っていう潜在意識というか決めつけから抜け切れず、相手の心や感情を全く無視して拘束に走る病院や施設は少なくないです。

が、長年の経験でこれだけは言えます。

頼りになるのは薬や道具じゃないですよ。

人間関係、信頼関係、「心のケア」が一番の薬。

 

人は良薬にもなれば猛毒にもなるってことです。



2017年05月18日 (木) | 編集 |
広がる “死後不安”|NHK NEWS WEB   https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_0518.html 転載。

特集 広がる “死後不安
5月18日 16時40分
自分が死んだあと、葬式や納骨、財産や遺品の整理を誰に託せばよいのかは切実な問題です。いま、親族や地域のつながりが薄れる中でお年寄りたちの間で、“死後への不安”が広がっています。取材を進めると死後を託す相手がいないことでさまざまな選択を迫られるお年寄りがいることが明らかになりました。(おはよう日本 新野高史ディレクター・大分放送局 内藤朝樹記者)



“生前契約”への関心高まる
自分の死後を見据え、葬儀や納骨、それに遺品の整理などを生きているうちに決めておく「生前契約」などのサービスに関心が高まっています。 
国の消費者委員会の調査報告によりますといざというときの高齢者の身元引き受けや葬儀、納骨などの支援を請け負う民間の事業者は数十から100社にのぼると推計されています。 
今月、都内で行われたこうした事業者の1つの説明会を取材すると参加したお年寄りたちからは「私自身の後片づけのために参加した」という声や「身内やご近所のお世話になるよりはお金で済ませたい」などの意見が聞かれました。


弱まる血縁・地域のつながり
内閣府が一人暮らしの65歳以上を対象に、看護や世話などを頼りたい人について聞いた調査で最も多かったのは「息子・娘」は39.9%でした。2番目は「当てはまる人がいない」の17.8%で「兄弟・親族」や「友人・近所の人」を上回り血縁や地域のつながりが弱まっていることがうかがえます。


死後は施設に頼りたい
死後を託す相手がいない人たちはどのような選択をしているのか。私たちは千葉県匝瑳市にある養護老人ホームを訪ねました。 
90代までのお年寄り47人が入所しているこのホームで長野県出身の78歳の男性と出会いました。中学卒業後、集団就職で上京し、服飾メーカーの工場に40年間勤務。独身で子どもはおらず「頼れる人はいない」といいます。退職後に体調を崩して生活保護を受け始め、7年前、この施設に入所しました。
男性は入所にあたって、亡くなったあとの遺品整理や埋葬の手続きなどを託す身元引受人として姉を届け出ていました。姉も同意書にサインしていましたが男性はことしに入って「姉も高齢のため自分が死んだ後の世話をお願いできないか」と施設に打ち明けました。施設が連絡をとったところ、男性の姉も「自分は80歳を超え遠くで暮らしているのでできることはない。弟の最後は施設に委ねたい」と考えていることがわかりました。 
死後の手続きを施設に委ねざるをえないことについて男性は「自分1人で生きてきた自分の責任なのでしかたがない」と話していました。


入所者の3分の2“最後は施設に”
亡くなった後の手続きを誰に委ねたいか、施設が入所者から聞き取りを行った結果話を聞いた21人のうち3分の2に当たる14人が施設に委ねたいと回答しました。 
施設は入所者の希望に応じて火葬や納骨、遺品整理などの手続きを担うことを検討していますがこうした業務は施設にとって本来想定されているものではありません。 
施設長の田向寿子さんは「身内が誰もいないという入所者はあまりいませんがつながりが薄くなり、親族などに負担をかけることを『申し訳ない』と思う人が増えているのかもしれません。少しでも最後の希望をかなえられるよう務めたいです」と話していました。


“献体”選択するお年寄りも
死後への不安を解消するために全く別の選択をしたお年寄りもいます。大分県の養護老人ホームで暮らす佐藤多美子さん(89)が選んだのは「献体」です。
献体は大学の医学部などで行われる解剖実習に、自分の遺体を無償で提供する制度です。最後は大学が火葬します。 
佐藤さんは福岡県で鰻料理店を営んでいました。小さいながらも常連客でにぎわい、パートナーが亡くなったあとも72歳まで一人で店を切り盛りしていたという佐藤さんは「商売をしているころは何もかも忘れて楽しかった」と当時を振り返ります。
佐藤さんは店をたたんだあと、故郷の大分県にある施設に入所しましたが死後の世話を誰に頼めばいいのかが悩みの1つになっていました。佐藤さんには9人のきょうだいがいますが8人はすでに亡くなっています。東京にいる弟ともあまり交流はありませんでした。そんなとき佐藤さんは同じ施設の入所者から聞いた献体に関心を持ち登録することを決めました。この施設では佐藤さんを含めた4人が献体に登録しています。佐藤さんは亡くなったあと福岡県内の大学に移されることになっています。 
佐藤さんは「すごく気が楽になると聞いたので献体に登録しました。人の役にも立てるのでよかったと思います」と話していました。


約28万人が献体に登録も受け入れには課題
身内や施設に負担をかけず人の役にも立てるとして献体を選択するお年寄りは増えています。献体に登録している人は平成27年度、約28万人に上り平成元年度と比べて3倍近くに増えています。このため遺体や遺骨を保管するスペースなど受け入れ側の態勢が追いつかず、一部には新規の献体登録を停止する大学も出ています。 
登録は「医療に貢献したい」という本人の意思と近い親族の同意があることが条件で「火葬や納骨を行ってほしい」という理由だけでは認められませんが親族に負担をかけたくないと考える人が増えていることも献体が増加している一因と見られています。 
葬儀や納骨などはこれまで家族や親族内で行われるものと捉えられてきましたが、大きく状況が変わってきていることは間違いありません。 
社会保障政策にくわしい淑徳大学の結城康博教授は「無縁化・孤立化した最期を送る人たちはどんどん増えていくと考えられる。死を個人や家族の問題ではなく社会の問題として考え、人生をどう終わらせていくべきなのか国の政策としても検討していくことが必要ではないか」と話しています。
高齢化が進むなかで、家族などのつながりだけでは対応できないという人は、今後、さらに増えていくことが予想されます。私たちの祖父母の世代、70年、80年と懸命に生きてきた人たちが、「死後への不安」を抱えてしまう社会をどうすればよいのか、大きな課題だと感じました。 
*** *** ***

あ、明日の私だ!
施設より自宅で死にたいなぁ。
献体か…それもいいね。
親類縁者とも縁遠いし、
家族はいないし。
だれにも頼れないし。
頼りたくないし。
両親のために契約してる世田谷区の納骨堂の
お寺が言ってくれてるんだけど、
「死んだあとのことまで気に病むな。
死んだときくらい他人様に迷惑かけてもいいじゃないか」
リビング(エンディング)ノートだけは完成して、
人の目に触れるところに置いておこうっと。



2017年04月05日 (水) | 編集 |
 ★病床数を最大20万削減 25年政府目標、30万人を自宅に  :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS15H75_V10C15A6EE8000/

先日の帰省時にも、施設相談員や母の担当スタッフと話したことだが、これからの介護には明るい展望が全く見えない。

上記のニュース一つとっても様々な問題や課題をはらんでいる。

病院と老人ホームは違う。
病院は治療するところであって、介護をするところではない。

だから、療養型病床の削減は致し方なし。
それほど現状の国の医療費負担と今後の高齢者に関わる費用増価額が重く大きい。

ただ一方で、在宅ケアの支援体制がまったく整っていないので、介護離職問題は悪化の一途。

今の国家予算96兆円の内、社会保障関係の歳出は32兆円ほど占め、その内介護関係が3兆円ほど。

対して医療関係は12兆円ほどとなっていて、今後の高齢者に関わる増加は年1.5兆円に抑えられるかどうか、という状況。

医療費圧縮は至上命題。
それで現在国は、ジェネリック医薬品の普及率を70%にまで引き上げる形で医薬品部分の医療費負担の圧縮を図る事と、病床数、特に社会的入院と言われる療養型病床の削減を進めようとしてる。

ただこの療養型病床数の削減は最近の話ではなく、10年近く前から試行錯誤が繰り返されてる。

療養型病床の代用として進められたのは療養型老健。
介護保険適用の介護療養型医療施設を廃止して療養型老健にて医療と介護のニーズに対応しようとしたが、結果論的には制度的にうまく機能しないまま、病床の療養的受け皿の必要性はずっと残ってきた。

そうした中で、介護に関しても、施設介護の国費負担の重さや、都市部での施設用地の確保の困難さが問題視される様になり、7~8年前より在宅ケアというものに国は軸足を移す様になってきた。これが当初描いた様に、地域巡回医療介護体制が確立出来ていれば望ましかったけれども、未だ形ならず。

在宅ケアは、医療従事者及び介護従事者による24時間の連携体制が確立されなければ、家族介護者に全ての負担がのしかかる為、介護離職を増加させ、労働人口を減少させ、国の生産力を低下させる。

だから手段的に間違いではないが、本来は病床数削減の前に地域医療介護体制の確立が先にないと。

現役世代の負担軽減や財政的には療養病床圧縮と在宅ケア主軸という流れは、現状認めざるを得ない。

でないと増える負担をどうする?という課題に別の回答を用意せねばならない。

だけど認める前提として、地域医療介護体制の確立が先に無いと介護離職問題が悪化するだけ、というのがこのニュースの問題。

介護を家族に押し付けることこそ家族愛の崩壊につながるのは、在宅ケアだからではなく、地域医療介護体制が確立出来ていないから。

支援体制が整うなら家族愛の崩壊などは無い。
療養病床の圧縮と家族愛の崩壊は関係無い。

で、地域医療介護体制が10年近く都市部で整わないのは、主に人的問題。だから本腰入れて介護従事者の抜本的な処遇改善をしてほしい。

安倍総理は当初、介護離職ゼロを表明してたと記憶しているのだが、地域医療介護体制が未整備なまま病床削減を進めるのは、表明に反する。

多分無視してるのではなく、その辺りの関係性が見えていない、理解していないのだろう。

つまり、介護経験も介護現場も全く知らない大臣と官僚たちだけじゃ、いつまで経っても家族と介護職の負担は減らないどころか増える一方だってことです。

わたし、お一人様だけど施設にも病院にも行きたくない。
在宅のまま、この家で死にたい!




2017年03月29日 (水) | 編集 |
3月28日(火)
朝1便で熊本へ帰ってまいりました。
母の施設スタッフとの定期カンファレンス参加。
機内アナウンスでは熊本は3℃とのことでしたが、到着したらすでにモワッとした熊本独特の暑さ(笑)
施設スタッフの話ではこの時期ならもう桜が満開のはず、とのことでしたので、大変楽しみにしていたのですが、1輪も咲いてませんでした(大泣)

熊本城がどんどん白くなっていくのが悲しい…この前来た時はまだ茶色っぽかったのに。

母の状態は安定。
誤嚥性肺炎のためか不定期の発熱、体重の減少はあるけれど、食欲もある。
昨日の母も大変ご機嫌でした。
大問題を抱えていた女性ケア担当から男性担当に代わり、劇的に母の状態が良い方向へ向かいました。
いくら減薬してもメンタル安定に変化なし。
今ではごくごく必要最低限の量しか服薬しておりません。

あの投薬コントロールの頃の地獄の日々は、全く必要なかった…

「あの時」ドラッグコントロールはまったく必要なかった。
私が言っていたように、あれは担当と母との最悪な人間関係が引き起こしていたこと。
病気のせいにして薬で抑えつけることなど全く必要なかったし、やってはいけないことだったのです。
今の母の人間らしい状態がそれを証明しています。

91歳の年齢ですから、年齢なりの状態で自然の流れに沿ってゆっくり下降線をたどってもらえれば。
誤嚥するのを気にして食事を気にしたり、何かをセーブしたりと神経質になることなく、好きなものを食べ、好きなように過ごしてほしいです。亡父がそうだったように、好きなものを食べて誤嚥し、それがもとで命が短くなろうと、です。「あれをしてあげれば、あれを食べてあげさせたかった」なんて後悔するより何倍もいい。
これが家族の願いです。

紆余曲折ありましたが、やっとこさ落ち着いた関係を築けるまでになった、長年担当していた相談員が異動し、新しい男性相談員に代わりましたが、話を聞いてみると、もっと元気なころの母のことや亡父のこともよくご存じの古顔スタッフでしたので安心しました。

ナース、栄養士、歯科衛生士、施設長、ケア担当、相談員。
みなさん、話しやすくて前向きで、家族の話や要望に聞く耳も持ち合わせている。
明るくて、馴染みやすい。
色々と紆余曲折ありましたが、やっとこさここまでの関係を築けました。
ナースが妊娠4ヶ月で産休に入ってしまいますが、出産後は是非ともまた復帰してほしいです。
東京から到着する時間帯がどうしてもお昼になってしまうので、みなさんお昼も食べずに集まるので、たまにはランチミーティングでもしたいと提案しました。
母の日や誕生日に送っている青梅のシフォンケーキ、たまにはスタッフに食べてもらいたくて帰宅すぐオーダーしました。

やっと、やっとこさ、こんな気分になれるまでの関係になれました(大泣)
8年…ながかった…




2017年03月22日 (水) | 編集 |
S0869166.jpg 
「朝帰り」
猫飯、トイレ掃除終了後、ゴミだし。
まだまだ朝は寒いです。
今日は大量の花粉が飛ぶらしい。
お風呂にします?
それともご飯?
ベッドが私を呼んでいる…
とりあえず…
…寝たい、かも。



2017年02月28日 (火) | 編集 |
C5vsVlNVUAAMIZ5.jpg 

ケロヨン【KEROYON】‏ @KeroyonOfficial 
もう少しで2月もおしまい、3月になるね。
今までずっとお世話になってきたスタッフさんとのお別れと、
新しいスタッフさんとの出会いがあって…

いま、ぼくはちょっとおセンチになってる。
お友達のみんなに「新しいケロヨン」を見てもらえるよう、がんばるよ。
見守っててね!ルリコさん。



昨日の今日でのご報告。
わが母の入所している施設の相談員さんも異動ですと!
明日から新しい相談員さん。
今度は男性らしい。
今までいろいろあったけど、
問題多かった担当ケアさんが今の男性スタッフに代わってからは、
何もかもがいい方向に向かっていくようになり、
やっとこさ気心知れてきてこれからと言う時に…。
本人も昨日言われたそうでまだ気持ちが不安定。

あ~あ、
Tomorrow is another day!
ゼロからの出発。



2017年02月12日 (日) | 編集 |

終末期患者に一切の治療を行なわない「平穏死」提唱の医師

NEWS ポストセブン 2/12(日) 7:00配信

  •  

 日本では安楽死が法的に認められておらず、終末期における尊厳死をとりまく現状も、法整備がすすまないまま医師が逮捕される事件がたびたび起きるなど、厳しい。

 なお、安楽死は「積極的安楽死」と「消極的安楽死」のふたつに分類される。前者は「医師が薬物を投与し、患者を死に至らす行為」。後者は「医師が治療を開始しない、または治療を終了させ、最終的に死に至らす行為」と定義される。

 そして、「安楽死」とは別に「自殺幇助」という方法による死に方もある。こちらも、安楽死同様、「積極的自殺幇助」と「消極的自殺幇助」のふたつに分けて考えられる。前者は、「医師が薬物を投与するのではなく、患者自身が投与して自殺する行為」。後者は「回復の見込みのない患者に対し、延命措置を打ち切ること」で、一般的に日本語で表現される「尊厳死」がこれに当たる。

 そんななか、患者の望む「穏やかな最期」を助けるべく、医師たちは、様々な葛藤や迷いを抱えながら日々、戦っている──。東京・西多摩にある日の出ヶ丘病院の小野寺時夫医師は、ホスピス医になったきっかけをこう振り返る。

「私は40年以上、がんの外科手術を行なってきました。しかし、いくら治療しても、苦しんでやがて死を迎える末期がんの患者の姿に胸を痛め、『自分が行なっている治療は本当に患者のためになっているのか』という疑問を抱くことがしばしばあったんです。

 その後、自分が57歳で咽頭がんを患ったことをきっかけに、限られた人生をいかに有意義に過ごすかを考えるようになった。私は、残りの人生は末期がん患者に寄り添い、『苦しまずに最期を』という望みを叶えるための努力をしていきたい」

 小野寺氏は現在、86歳という高齢ながら、終末期医療の最前線で週2回、患者を診ている。

「誤解を恐れずにいえば、私は患者が望めば、延命治療を中止する尊厳死だけでなく、薬で死に至らせる安楽死も認めていいと思っている。少なくとも自分が死ぬ際は尊厳死を選ぶつもりです」

 小野寺氏の終末期医療は、患者の意思を最優先する。その一環として、稀ではあるが、強く希望された場合に施すのが『終末期鎮静』である。

「これは、耐え難い苦痛を取り除くために睡眠薬や麻酔を用いて、患者に眠ったまま最期を迎えさせる処置です。

 鎮静は、本人が希望しても家族の反対があるとできません。痛みに呻き苦しんでいる患者を見ると、いたたまれない気持ちになることもあります」(小野寺氏)

 終末期の患者のために、あえて一切の治療を行なわない選択をする医師もいる。『平穏死という生き方』の著者で、特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医の石飛幸三氏だ。

「私は尊厳死と呼ばずに、7年前から“平穏死”と呼び、提唱しています。年老いた体が食べ物を受け付けなくなるのは“人生の終わりのサイン”。だから、食べたくないなら、無理に食べさせなくていい。積極的に薬を投与して死に至らせる安楽死とは全く異なるものです」

 同施設では入所した段階で、延命措置を施さないことに対するコンセンサスが入所者とその家族にはかられている。だが、いざ辛い状況を目の前にすると心変わりする家族も少なくないという。石飛氏が続ける。

「病状が変わるたび、家族とわれわれ職員で、たとえ口論になっても、何が本人のためかを徹底的に話し合う。私は平穏死が本人のためになると確信しているから、一切、迷うことはありません」

※週刊ポスト2017年2月17日号

★関連記事
◎「終末期鎮静」 http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1828.html ブログ:野郎猫集団「千太組」
◎最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~ | NHK クローズアップ現代+   http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3755/index.html
◎神戸新聞NEXT|連載・特集|平尾誠二さん特集|平尾誠二さん「感謝の集い」 
山中さん弔辞全文 https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/hirao-seiji/201702/0009906130.shtml @kobeshinbunさんから
⇒平尾さんの闘病に関わった山中教授の場合は真逆の立場かもしれないけど、これもまた一読の価値ありですよ。

「終末期鎮静」
まだまだ日本は浸透しないよねぇ。
常勤医86歳…福島の高野病院と同じ状況なのかな?
あとを任せられる若手の医師はいるのかな?
小野寺医師が亡くなったらこの病院はどうなるの?