薫の野郎猫的日常
2009年01月09日 (金) | 編集 |

それとも・・・もう4年?

どちらかというと、今の気分は「まだ」4年。

千太郎が脱皮して、まだ4年。

あっという間の4年間でした。

2005年1月9日午前7時23分。

あの日のことは昨日のことのように覚えてます。

が、鮮明に覚えているのはあの瞬間ではなく、そこに至る千太との濃密な時間。

この時期になると思い出します。

冷たい空気を切って自転車でキャリーバッグの中の千太と一緒に一日おきに輸液通院したあの日々を。

輸液して帰宅するとしばらくは歩けなくて、ヒーターで体を温めてゆっくりと立ち上がり歩き始める千太の姿を。

低体温の恐怖、ひたひたと近づく死の足音への恐怖と不安。

いつかは必ず来ると判っていても、やっぱり別れは辛く寂しく・・・そして悲しい。

色々な感情に押しつぶされそうな私の傍で、千太はただ悠然とひたすら悠然と生きていた。

私ってなんて非力で無力なんだろう。

千太のために何が出来るんだろう。

何をしてやれるんだろう。

毎日、自問自答してました。

そしてたどり着いた答は・・・ただただ見守り、そして見届けること。

千太の生き様をしっかりとこの目で見届けること。

それしか出来ない。

脱皮前夜、いつもなら点けっぱなしの床暖を何故あの夜だけ消してしまったんだろう。

あの時、もし床暖を点けっぱなしにしていたら、もしかするともう少し長く生きてたかもしれない。

一生消えることのない後悔。

でも、千太は限界を超えて生きてくれた。

これもまた事実。

最後の姿を、脱皮してすぐの千太の姿を知っている人ならきっとわかってくれるはず。

6歳で腎不全発症から足掛け14年、1.5㌔になっても生きてくれた「奇跡」の猫だと。

享年19歳8ヶ月。

千太は今でも私の一番大切な命。

千太。

1435960.jpg 君は私の誇りです。


2008年01月09日 (水) | 編集 |

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千太郎。君が
脱皮して3年が経ちました。


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偉大なリーダーを失ってすぐは色々あったけど、
しばらくすると残された野郎共は君がいた頃以上にぴったり寄り添いながら生き始めましたよ。


そして・・・君が脱皮した3年前の初秋・・・


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思いがけない君からのプレゼント、染五郎と六輔が千太組に参入。


そうして・・・


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千太と共に生きた野郎と千太を知らない世代の野郎とで新生「千太組」が誕生。
それでもこうして全員ぴったり寄り添いながら生きてます。本当に仲良しだよ。


千太、君が繋いだ命のリレーは若頭、百次郎をリーダーにして
これからもしっかりとバトンを渡していきますね。


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君が脱皮するまでの16年間、ずっと末っ子として我がまま放題に育ってきた百次郎。
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千太郎を独り占めしてきた百次郎。
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そこに突如、生後1ヶ月にも満たない幼い寿三郎が参入し、
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子猫パワーのお陰か、ほぼ寝たきりになっていた千太がすっくと立ち上がり、
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その4ヶ月後にやってきた幼い幸四郎共々、
子猫の養育係としていきいきと働き始めた。
そういえば・・・
寿三郎が来てまもなく、ショックからか、2週間余りベッドの下に引きこもり
飲まず食わず、食えば下痢の連続だった百次郎。
シャ~シャ~言い過ぎて声を枯らしたのも丁度この頃だった。
でも私は寿三郎を手放さなかった。だってリーダーの千太郎が
寿三郎を認めたから。「リーダーが決めたことだもの。お前も従わなきゃ」
とベッドの下の百次郎に言い聞かせたっけ。
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どう自分を納得させたか不明だが、
心の葛藤から開放されベッドの下から出てきてからは、
べったりとは行かないまでも寿三郎とうまく付き合えるようになった百次郎。
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幸四郎の参入はパニックにならず自然体で受け止めたよね。
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傍にいつも道標の君がいてくれたから・・・。
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でも君がいなくなった途端、若い寿三郎、幸四郎をどうリードして行けばいいのか分からず、ただただ小うるさくお小言を言い続けるだけだった戸惑いの若頭。
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あの頃、余命いくばくもない千太が背後から必死に遺したメッセージを思い出す余裕なんてどこにもなかったんだろう。
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でも、染五郎と六輔が新規参入した頃にはカリカリせず、子育ては若い弟分たち
に全面的に任せ、自分は遠くから見守る余裕を見せるまでに成長していた百次郎。
以前よりは幾分ましになったものの、今でもシャ~シャ~お小言は健在だけどね。
さすがお前の自慢の弟分だけのことはあるよ。しっかり自分の役割を果たしてる。

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そんな百次郎が今年4月1日、目出度く君の命の記録19歳8ヶ月を追い抜きます。
そして7月30日、晴れて20歳の成人式を迎えます。
千太、君が守ってくれてるんだね。ありがとう。
君の分まで益々元気で健康に生きてくれればいいな。


千太組の合言葉『千太に追いつけ、追い越せ』
君以上の偉大な存在感を有する野郎はこれから先も現れないだろうけど、
せめて全員ご長寿記録だけは追い抜くことができるよう頑張るからね。


もうすぐ君が脱皮した午前7時23分になります。
なぜだか今日は早起きしちゃったよ。
お香を焚いて、お水をお供えして、野郎共と一緒に手を合わせます。


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千太、これからもよろしく。


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2007年05月08日 (火) | 編集 |

DSCN1261.jpg今日は千太郎の誕生日。
私が初めて千太に出逢った日。通い猫の野良母さんが私の枕元で千太を産んだ日。「子猫が子猫を産んだ」から何も出来ずにただ呆然とする母さんに代わって、羊膜を剥ぎ取り、へその緒を切り、出ない乳から母さんのおっぱいを必死に搾り取り、救急箱にあったスポイトで千太の口に無理やり押し込んだ日。


母さんが生後4日目にいなくなり、それからというもの離乳まで、センセと二人三脚で育てた。生まれて初めての経験ばっかりで、あまりに必死すぎて生後1ヶ月まで写真を取るのを忘れてた(笑)初めてお前を撮った写真がこれまた全部見事にピンボケ(泣)デジカメなんてなかった時代なんだもの。インスタントカメラしか持ってなかったんだもの・・・。




DSCN1295.jpg千太。
私にとってお前がともに暮らす初めての猫だった。


DSCN1263.jpg千太。
私にとってお前が心から愛おしいと思える初めての命だった。


DSCN1257.jpg千太。
私にとってお前が長生きしてくれた初めての命だった。


DSCN0010.jpg千太。
私にとってお前が・・・看取った初めての命だった。


DSCN0100.jpg千太。
私の千太郎。今でも大好きだよ。


今日はね、お前の残してくれた百次郎、寿三郎、幸四郎、染五郎、六輔をぎゅっと抱きしめながら君を想ったよ。何も特別なことはしなかったけど、君の事を想ってた。


そしてなぜだか涙がホロリ・・・。
悲しい涙じゃないんだよ。
寂しい涙でも決してない。
ただただなぜだか胸が熱くなって、キュンとなって・・・


ホロリ・・・。


逢いたいなぁ・・・。
もう一度君を抱きしめたいなぁ・・・。
君のその優しい匂いを思い切り味わいたいなぁ・・・。


2007年01月11日 (木) | 編集 |

1月9日。


多くの方々から暖かなコメントを頂きました。ありがとうございます。


ブログでノロ騒ぎした当日は千太が脱皮して2年目の記念日だったこと・・・


忘れてました・・・はい、すっかり失念してました。


脱皮する前日まで輸液通院の為に通ったバス停に続く千太桜の道を通る度、胸がキュンと締め付けられるような感覚を覚えるのに・・・


年が明けてずっと頭の中で考えてたのに・・・。


どうしたことなんでしょうか?


当日は特別なお線香も上げずただただいつものように食事して、風呂に入って、そして眠っただけ。


だって本当にすっかり忘れていましたから・・・。


でもこれでいいのでしょう。


千太は脱皮して自由な魂となり、私と野郎どもをいつも見守っていますから。


百次郎の首には千太から譲り受けたイフがいつもあって、百の健康を守ってくれている。私はいつも寝る前に、そのお守りをなぞりながら千太に語りかけます。「百を守ってね」


そのそばにはいつも寿幸染六が寄り添い、人間1人を囲んでの寝返り不可能な窮屈ながら暖かな猫団子を形成し静かな眠りに付きます。私たち千太組にとって千太の2周忌はさほど特別なことでもなさそうです。


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だって千太はいつもそばにいますから。野郎どもの中に今も確実に息づいてますから。


2006年02月03日 (金) | 編集 |

1435960.jpgある方からのメールがきっかけで、久々に千太の動画アルバムを紐解いてみた。食慾廃絶までに至ってはいないものの、それまで食慾大魔神だった千太が食事を残すようになった腎不全中期から極末期、脱皮2日前の別れの挨拶までの千太が私を迎えてくれた。


千太の体をゆっくりと撫でる。


涙が止まらない。


作品数は少ないが、腎不全という病がどういう病か、どういう最後を迎えるものなのか、少しでも皆さんに知っていただけたらいいな、と思い、ブログ発足と同時に公開に踏み切った。


千太を通して腎不全という病気を是非知ってほしい。


そして、猫という生き物がどんなに逞しくて、強くて、優しくて、可愛くて、儚くて、健気で、そして愛おしい存在であるのかを。


「猫ってのはな、最後の最後まで前向きな生き物なんだ。
人間みたく諦めたりしないし、落ち込んだりしないし、ましてや己の命を絶とうなんて馬鹿げたこと考えない。だからこそ、相手が『もうこれ以上頑張れない』って訴えかけるまでは、一緒に頑張る。それが俺達人間の猫への礼儀ってもんだ」


うちのセンセの口癖だ。


老猫会の掲示板に今日も訃報が届く。沢山の猫さんが今日も病気と闘っている。多くの猫仲間が悩み、苦しみながら今日も介護にいそしんでいる。


旅立っていったニャンコさんたち、お疲れ様でした。もう苦しくないよ。思い切り遊べるよ。思い切り深呼吸できるよ。思い切り食べられるよ。思い切りオシッコもウンチも出来るよ。思い切りお水を飲めるよ。思い切り眠れるよ。良かったね。


最後まで一緒に頑張った介護人さんたちへ、贈る言葉など見つけられません。言葉にした途端、すべてが虚しいのです。だから沈黙を守ります。心の言葉を贈ります。


病気と闘っているニャンコさんたちには・・・かける言葉がないです。本当に何も言葉が出ない。ただただ、大好きな家族、彼らのニンゲンと共に過ごせる時間が1秒でも長いことを。出来るだけ苦しまず、なるだけ穏やかに。静かにゆっくりと時が流れますように。


介護人さんたち、諦めないで。思い切り悩んで、思い切りジタバタして、思い切り動揺して、人一倍泣いて、でも猫の前では笑顔を忘れずに!


春のような暖かさの中、久し振りに散歩に出た。いつもなら自転車なのだが、今日は足を使って近くを散策。風が肌寒いけど、もう春だね。近所にある桜の古木。いつも見事な花を咲かせるこの木の下を、何度千太と一緒に通ったことだろう。この木を見上げるたび、千太との「楽しい」輸液通院の日々が昨日のことのように蘇る。おかしいだろうけど、いつ急変するかわからない末期の頃でさえ、私にとっては千太との貴重なデートだったのだ。一緒に桜の花を見上げ、綺麗だね~と話しながらゆっくり歩く。千太も桜の花の高さまでキャリーを上げてやると、戸口に鼻をくっつけて、クンクンと春の香りを満喫する。初夏の緑、夏の夕立、秋の金木犀、冬のキンとした空気、四季折々の香りを千太と一緒に味わうことが出来る唯一の時間。それが輸液通院のための外出時間だった。


今年も桜の木の小さな蕾が膨らみ始めた。でも、一緒に見上げてくれる相手はもういない・・・


2469138.jpg今日は若・幼猫カルテットが年齢順ねんね。このあと染は自分の尻尾じゃ飽き足らず、爆睡六の尻尾をチュパチュパしながら深い眠りにつきました。長老百爺はヒーターで一人ノンビリ爆睡中。


2006年01月09日 (月) | 編集 |

昨年の今日、午前7時23分、千太の心臓が止まりました。ほとんど苦しむこともなく、穏やかな最後でした。いや、本当はずっとずっと苦しんでいたのかもしれないけど、朝目覚めた私の目の前にいる千太は、すでに天国への階段を1段ずつ上っていくところだった。もう手の施しようもなく、私は百寿幸と共にただ彼の体に寄り添い、頑張った彼を褒め称え、優しく撫でながら「優しいセンタマン、かっこいいセンタマン、センタマ~ン」と自作の「千太のテーマ」を歌うことしかできなかった。


19歳8ヶ月。もうあと4ヵ月で20歳だった。一緒に成人式を祝おうって言ったのに・・・。


それでも千太は私との約束を守り、私に最後の別れの挨拶をさせてくれた。苦しかったろうに・・・待っていてくれてありがとう、千太。

千太との出会いは忘れもしない1985年5月6日午前3時頃。通い猫だったクロキジ母さん(ミルクと名付けた)が急に枕元で産気づいた。何もしないミルクの代わりに私が産婆役を買って出た。羊膜を剥ぎ、へその緒を切る。死産も含め茶白2匹、茶トラ1匹、計3匹の子猫が生まれた。生き残ったのはたった1匹。茶トラ。


母猫は母乳もほとんど出ない、出産できるまで成熟しきっていない幼猫だったらしい。だからまさか子供を孕んでいるなど思いもしなかった。野良だったため栄養失調で貧しい母胎だった。生まれた子猫もネズミの子のように真っ裸。生き残った子猫も育つ保証はまったくない。


4日目の早朝。5月9日。母猫のミルクがベッドの下から子猫をくわえ、枕元に置くと外へ出せとしきりに鳴いた。丸3日間ずっとベッドの下で子育てしていたから、気分転換に散歩したいのだろうと窓を開け外へ出してやった。毛が生えそろわないガリガリの子猫を置いたまま、ミルクはそのまま2度と戻ってはこなかった。


お腹にジクジクした不気味な赤いシミがあったミルク。センセに後で聞いた話だと、恐らく子宮内に死んだ子猫が残っていて、その子がお腹の中で腐敗し始めたのだろう。自分の命もそう長くはない。だから子猫を私に預けて死場を求めて出て行ったのだろう。


千太郎という名前の由来は、当時民放で放映されていたアニメに出てくる黒猫で、また旅物の三度笠と合羽を着て「東京音頭」を踊る仙太郎から頂いた。いくら星野仙一好きの私でも、仙太郎だとあまりにもやくざっぽいので千年万年長生きするように千太郎にした。


当時まだ会社員だった私は、近所の獣医師に事情を説明し協力を要請した。その医師は、朝一番に預けたら、帰り時間がどんなに遅くなってもいいから毎晩必ず子猫を迎えに来ることを条件に離乳できる1ヶ月まで協力してもいいと言ってくれた。これがセンセとのお付き合いの始まりだった。


生まれて1ヶ月目頃まで、写真を撮る暇などありゃしない。子猫時代の千太郎は最後まで鼻の頭と両足に毛が生えそろわない耳のでかい変な顔のお子だった。


だからなんとしてでも、がりがりの痩せっぽちを「およねこぶ~にゃん」のようなブタ猫にしたかった。お陰で最高7キロ近い巨体の持ち主にまで成長した。


生まれてから1ヶ月近くまで極度の栄養失調だったにも拘らず、ずっと病気知らずだった千太だが、一般食が体に合わずよく下痢になり、挙句の果て3歳と5歳の時、尿路結石を患った。療法食で完治したと思ったのに・・・。結果、これがその後の千太の猫生を左右することになる。


その頃はまだ「腎不全」という恐ろしい病気のことなどまったく知らなかった。食事管理、健康管理に関して全く無知だった。


6歳になるか、ならないかの千太がとうとう腎不全になった。この世を去る19歳8ヶ月までの約14年間で、膀胱炎、腎不全に関しては嫌というほど勉強させてもらった。全部千太が自分の命を削って教えてくれた。お陰で今年18歳になる百次郎は今のところ病気一つせず元気でいる。


腎不全が発覚して約12年間は特別な治療はせず、ただ療法食を食べ続けた。


11歳の頃、口腔内腫瘍を切除。切除したものを大学病院で検査してもらう。良性腫瘍だった。原因は不明。


12歳の頃、細菌性胃腸炎になった。原因は腎不全の進行による免疫低下。この頃から再度、繰り返しの血尿、細菌性膀胱炎に悩まされ続けた。


16歳になり、私が会社を辞め在宅業務になると、ホッとしたのかそれまでずっと我慢していたものがドッと吹き出すように病気が急激に進行し始める。食事を食べなくなったり、頻繁に嘔吐し始めたり、異常なほど我侭になったり。体がめっきり弱くなった。通院する回数が急激に増え始める。


17歳の頃、巨大結腸症と判明。あれだけスルスル快便だったのに、それからずっと便秘に悩まされ続けた。最初は下剤で凌いだが、薬も効かなくなると摘便に変更し、晩年は3日に1度の割合で摘便通院。


18歳になり、療法食だけの治療に限界が見え始めた。延命治療のため、ここから吸着炭と輸液を追加。


19歳になり、尿毒症が進行し、静脈点滴も経験した。癲癇発作もたびたび発症。免疫力、体力低下。低体温。輸液後、体温が急激に低下し動くことが出来なくなった。FVRキャリアのジュサ坊から風邪をもらい、どんどん悪化。死ぬまで治ることはなかった。


だが、最後まで歩いていた。粗相したのは数えるくらいで、トイレにしっかり歩いて行き用を足した。だからこそ辛かった。動けば動くほど背骨が皮を突き破る。安楽死の文字が脳裏に浮かぶこと数多。千太自身の意思で脱皮して欲しかったので、願いが叶い心の底からありがたいと思った。


歯も1本も抜けなかった。定期的な歯石除去が功を奏したのだろう。


それまで尿路疾患の療法食だったが、6歳から腎不全の療法食に替え、食慾廃絶が始まるまでの12年間、ずっと嫌がることなく食べ続け、短い期間を除いて療法食一筋だった。せめて死ぬ前は一番好きなものを食べてもらいたい、とせっせと魚や肉を皿に盛ったのだが、結局、末期の食事として口にしたのはキドニーケアのふやかし食。それをたらふく食べて旅立った。


虹の橋のカフェテリアで生前一番長く食べていた「k/d缶大盛り」をオーダーして、周囲を困らせてやしないか心配だったりする。でもこの前の新年会の席上でひぴさんが、「きっと千ちゃん用にって療法食がメニューに追加されてるよ、きっと」と笑ってた。千太のように療法食が大好物の猫さんもいるに違いない。そんな猫さんのため、『療法食はじめました』という張り紙が、虹の橋カフェのドアにひらひらたなびいているのか?その光景を想像したら、あまりの可笑しさに思い切りお腹を抱えて笑い転げちまった。


千太はなんでもよく食べ、激しく遊び、やんちゃで陽気で元気で男気のあるいい男だった。あまりのやんちゃぶりに、ごめんなさいと鳴くまで、何度あいつを仰向けにし、首根っこを押さえ、羽交い絞めにしたことだろう。夜中、あまりの騒々しさに、何度あいつを玄関外へ追い出したことだろう。あいつが反省してごめんなさいと戸口で鳴くまで、決して入れてやらなかった。


そうかと思えばある夏の夜、以前住んでいたアパートに痴漢が出たとき、状差しの隙間から部屋の中を覗く男の眼に向かって、一直線に向かってゆき「シャ~~~ッ」と威嚇して追い払ったという武勇伝の持ち主でもある。


それまではどちらかというと引っ込み思案で、お客様が来ても私の後ろに隠れて縮こまっていたような気弱な奴だったが、痴漢騒ぎのあとは、どんな相手であろうと足音が近付くと、必ず私よりも前にドアの前に座り、私を守ろうとするような素振りを見せるようになった。この頼もしい行動は、死ぬ1ヶ月前くらいまで続いた。どんなにか体が辛かったろうに。


抱っこは嫌いだが私のそばにべったりくっ付いているか、視線の届く範囲にいるような超甘えん坊だった。


短いカギ尻尾はよ~くお喋りした。名前を呼んだり、話をすると必ず尻尾をピコピコ動かして返事をする。


静かな闘志を胸に秘めた男の中の男だった。我慢強い性格で、尿毒症が進行したために食慾廃絶になった時、療法食缶詰を強制給餌しても絶対に嫌がらない。生まれて初めての慣れない介護。シリンジでリキッドタイプの療法食を与え、気道に入れてしまい千太を何度も殺しかけた。しかし、辛い顔をした千太をほとんど見たことがない。いや、本当は辛い表情をしていたのかもしれない。が、まったく覚えていないのだ。辛い顔をした千太の記憶がまったくといっていいほど消えてしまっている。
今でも鮮明に覚えているのはじっと見つめる澄んだ瞳。
ふわふわとした柔らかい猫っ毛とあま~い体の匂い。
涙を一杯受け止めてくれたあったかい胸。そういえば、私が胸を借りて泣くといっつも溜息をついてたっけ。


弟分の百寿幸を愛し、存在を認めてくれた千太。3匹も千太を敬い、愛し、そして最後まで傍を離れず、いつも守ってくれた。


染六が参加し、新生「千太組」になった今も、きっといつも見守っていてくれているはず。


脱皮して透明猫になった千太。会いたい。ぎゅっと抱きしめたい。お喋り尻尾とお喋りしたい。甘い香りのするあったかい胸に顔を埋めたい。


この世を旅立った相手に執着して「見守ってくれ」などと頼むと成仏できないそうな。


あの世で会った時に、恥ずかしくない生き方をすることが一番の供養になるそうな。


この1年、全く忘れたわけではないけれど、忘れることなどできはしないけれど、それでもどんどん忘れてしまっていることが沢山ある。千太が脱皮して1年しか経っていないというのにも驚く。もっと遠い昔のことのように思えることがあるのだ。私にとって生きているというのは、生きてこの世で生活するということ、暮らしを営んでいるということは、どうも旅立った存在を忘れることらしい。


千太のことをどんどん忘れていく。でも全部忘れるのではない。千太のエッセンスだけは永久不滅にして絶対的なものとして、心の中に残るに違いないのだ。


「ここにあるのは千太のユニフォームであって千太自身ではない。ボロボロに着古したユニフォームを天にお返しするだけのこと。脱皮した千太は透明猫になり、これからも元気に生き続けるのだ」


1年前の今日、1.5キロまで痩せ細り、背骨が突き出たボロボロの亡骸の前で、私はそう確信した。


1年か・・・もう1年?まだ1年?どちらも当たってる。


千太、私も百寿幸も元気だよ。染五郎と六輔ってお前からの贈り物だよね。凄く元気に育ってる。やんちゃ坊主でね。お前に似て凄くいい男に育つと思うよ。安心してね。


もしかして、染か六ってお前の生まれ変わり?なぜかそういう気がしてならないの。


生きてるお前と脱皮直後の2度に渡って会いに来てくれたMayu-☆さん、荼毘に立ち会ってくれたmoomama、脱皮して幸せそうに花畑で微笑む千太を描いてくださったひぴさん、大阪にお住まいなのに、いの一番にお花を届けてくださったねこまたさんを初めとして、お前が画策したとおり、ビックリするくらい沢山の猫馬鹿さんたちとお知り合いになれたよ。みんなお前が大好きだってさ。よっ、色男!いいね~、もてちゃって!


こうやってブログも立ち上げた。毎日何書こうか頭抱えてる。でも結構楽しいよ。


千太、本当ならもう土に戻ってるはずなのに。ごめんね。ちょっと遅れてる。


こんなことしてていいのかな~。この先どうなっちゃうのか、まったくわからない状態が続いてるけど、なんとか出口を探すから。


歯がゆいだろうけど、もう少し待ってて。


大好きだよ、千太。


愛してる。


今日は1年前と同じく冷たい朝だ。部屋を暖かくしてみんなでドンちゃん騒ぎして楽しもうな!


2005年10月05日 (水) | 編集 |

DSCN1903.jpgこれも6799e9bf.jpgこれも


そして、これからも続く猫馬鹿隊「染六見学ツアー」も


DSCN0100.jpg 千太組のことをずっと暖かく見守ってくださっている猫馬鹿隊の皆様に、お前が愛して止まない組の連中を会わせたいがために仕組んだことなんだろうな~。こんなことがない限り私、皆さんと外でお会いする計画を立てただろうし、お会いするにしてもこんなに多くの方々と直接会ってお話しすることなど、どう考えてもとても無理だ。皆さんを我が家にお呼びして、直接会ってお礼を言いたかったんろう?ありがとう。


DSCN1900.jpgあの時この子をつまんじゃったのも偶然じゃないね。きっとお前が裏で糸を引いていたに違いない。この子を通してこんなに大勢の、日本全国の猫馬鹿さんたちが、千太組に熱いエールを送ってくれてることを私に知らせたかったんだろ?直接会うことは無理かもしれない。でもブログを介してこれからもずっと彼らと繋がっていられる。御礼も言える。ありがとう。


DSCN0610.jpg仁義を重んじるお前らしいヤ。良かったね千太。嬉しいね~。私も嬉しい。何もかもこれで良かったんだって思うよ。


猫馬鹿隊の皆様、本当にありがとうございます。皆さんのこと大好きです!


染=体重1030㌘(+90g)ベッドの上に今日初めて登れました。ウンチ:3回


六=体重380㌘(+10g)皿から食事できます(たま~にね)トイレからも自力で出られます(直接見てないけど)ウンチ:2回


2005年05月06日 (金) | 編集 |

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千太もいよいよ今日で20歳。


おめでとう、千太郎!!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜Happy Birthday!!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★( ^-^)ノ∠※PAN!。.:*:・'°☆。.:*:・'°★°'・:*オメデトウ ♪


今頃お前は嬉しそうにお喋りシッポピコピコさせて、仲間とお祝いしてることだろう。


今日はお前と一緒に飲もうと思ってね、熊本の銘酒「○少年」白生を買ってきたぞ!!


乾杯しよう!!


どうだ、美味いか?