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薫の野郎猫的日常
2019年02月17日 (日) | 編集 |
午後3時より、菩提寺にて母の初七日法要を営みました。

四十九日法要の日取りも決めてきました。

法名も頂戴いたしました。

まるでかぐや姫が求婚者にねだった宝石のごとき法名だこと(笑)

『慧明院 釋宝樹(えみょういん しゃくほうじゅ)』

これが母のため院主様が考えてくださった法名です。

光り輝く智慧、そして浄土にあるという珍しき宝でできている樹木。

母が旅立った11日に寺に報告がてら、人となりや思い出などを話し、院主様がそこから得たインスピレーションでつけた名前。

母らしいというか、中々珍しい名前だと思います。

気に入ってもらえればいいけど。

法要の間中、私の心は「無」でした。

法要の直前まで抱いていた嵐のような感情もすっかり消滅。

父の時のような振り子の動きは全くなく、何を感じているのか、何を考えているのか、まったくわからない。

私の体を使っていいからね。

父の時も、そして母の時もこう伝えました。

父の方が泣き虫だったなぁ。

それに比べ母は全くの無表情です。

静かな波紋一つ、漣一つ立てない湖。

母はいったい何を伝えたいのでしょうか。

 
2019年02月17日 (日) | 編集 |
米津がおじいさまの死に接して書き上げたこの唄…だからかな?昨日、熊本からいっしょに飛行機に乗って帰ってきて今日3時、世田谷の菩提寺にて初七日法要で母を送る私の思いと年齢のギャップを感じない。まるで私と母の今の気持ちを代弁しているような詩…ずっと聞いている。



今のスタッフになって本当に幸せな日々が続き、良かったって思ってたのに…「終わり良ければすべてよし」で終わるはずだった母の93年の生涯が、最後の最期に施設からこれでもかというほどひどい仕打ちをされ、謝罪もなく、だけどこういう苦しみを味わってでもあの場所からおさらばしたかったのが母の本音だったのかもしれないと思い込もうともがき、もう縁が切れ二度と交わることもない連中のことなんて、忘れてしまいたいのにどうしても拭いきれない汚れのように記憶と心にこびりつき落とせない苦しみと悔しさ…情念…今日の法要で何とかきれいにふき取りたいんだけどね。

2019年02月11日 (月) | 編集 |
熊本に帰っている間のシッターさん手配完了!13日から来てくれることになった。これで一安心。

父の時は荼毘に付した日にそのまま東京にとんぼ返りしたけど、今度は火葬場から熊本市内のホテルにチェックインして母と一緒に熊本を楽しもうと思い、熊本城にほど近いホテルに母の遺骨と一緒に泊まってもいいか聞いてみたところ「もちろんです!ではお母様のベッドもご用意させていただくのでツインのお部屋をご用意いたします。」と言ってくれました。

13日は葬儀所で母と一泊し、荼毘に付した後の14日と15日はホテルに泊まり、ホテルに近い熊本市役所で可能な限り必要な手続きを済ませ、16日の午前中に東京へ帰り、17日の午後3時から父も眠っている世田谷の菩提寺で法要を営む予定。 



2019年02月11日 (月) | 編集 |
今日、午後3時過ぎに母の施設のナースより母の呼吸が止まったとの連絡あり。施設と家族の決まりではそういう時には病院に搬送せず、施設でゆっくりスタッフの皆さんと別れを惜しみながら最期の時を過ごすことにしていたのに…最後の最期でナースが救急搬送しちゃって、病院の救急外来の忙しない中で、誰も見知った顔がいない中で息を引き取りました。それが唯一の残念なこと。

それ以外は大往生です。今日の朝も昼も食事をして、昼寝のためにベッドに戻って休んでいただけのこと。ナースが巡回して母の異常を知るまで、元気でした。もちろん先月の報告で、車椅子にしっかり座ることができずすぐ前傾姿勢になってしまうからリクライニング式の車椅子に替えて対応してもらっていましたし、食事は完食していてもたまに吸引してもらったり吐いたりしていたくらい。快眠快便、最期まで寝込むことなく、苦しがることも痛がることもなく本当に元気でした。ありがたいことです。

母の亡骸は病院から施設には戻らず、契約している葬祭所に迎えに行ってもらって葬儀所へ安置してもらいます。私は明後日、熊本へ帰ります。そして一番早い日で荼毘に付し、東京へ連れて帰って、父が眠っている菩提寺で法要を営み、父のそばで眠ります。

親戚も高齢のため、ほとんど顔を見せられないけど、仕方ないです。

父と母がほぼ同時に要介護になった2002年から17年間…両親も私もよく頑張った!寂しかったり悲しかったりという感情より先に安堵の気持ちが顔を出します。でもそれも自然な気持ちだと思います。私一人でよくまぁ17年もの間、頑張ったって自分を褒めてあげたいです。

今日は休日で成年後見人関連の弁護士と裁判所には連絡付かなかったけど、明日には連絡入れなきゃ。

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2019年01月30日 (水) | 編集 |
熊本のオーガニック農園「地球農園(@asobinokuni )」のミカンの皮がカチコチに硬くなってまいりました。『発酵』し始めたサイン!そのまま普通に食べても美味しいけど、ジュースにしても超美味い♪ドンドン絞ってゴクゴク飲んでます!カラカラに乾いた細胞にたっぷりの水分を!美味しい💓

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2019年01月23日 (水) | 編集 |
前日から異常なほどに喉と鼻が乾燥し、その日の夜中にあまりの気分の悪さに目を開けると天井がぐるぐる回っていた。慌てて体温を測ると38度。で、1月19日土曜日に職場に連絡し、とりあえず土曜と日曜だけ仕事を休むことにした。というのも、15日火曜日のシフトで一緒だったスタッフが3人、4人とインフルエンザを発症し、バタバタと倒れていたから。その日、2回の入居者さんが最初にA型を発症し、そこからドンドン感染していったと思われます。

19日当日朝の8時半に病院に行ってインフルチェックしてもらったけど陰性だった。診断は咽頭炎。だから薬は処方されず、自然治癒を目指すことに。が、職場の上司が言うにはあまりに早くに検査すると陰性と出てしまうケースがあるので、念のため、週明けすぐに再度、チェックしてもらうように指示を受けた。それと19日からしばらくは毎日、朝10時と夕方4時の2度、体温を報告すること。

19日の夕方4時は8度3分まで上がり、毛穴がチクチクピリピリと痛かった。でも食欲は落ちなかったのでしっかり食べることができたので助かった。

20日も8度周辺をウロチョロし、21日の月曜にやっとこさ7度台に下がった。が、咽頭炎だから声が枯れるし、咳は出るし、踏んだり蹴ったり。で、病院で再度チェックしてもやはり陰性だったので、その日で体温の報告からは解放された。 

22日火曜日に6度6分ほどに下がってきたが、6度あるかないかが平熱の私にとっては微熱。気分悪いし、お腹が緩くなるし、痰がらみの咳がえぐいし…横隔膜が筋肉痛を起こしていたいのなんのって!そろそろ職場復帰してもいいのだが、なんせ痰がらみの咳が止まらないので、いくらマスクしてても入居者さんやご家族は嫌がるにきまってる。ガラスのようにもろい高齢者相手だし、サービス業&客商売だからね。職場とも相談し、26日土曜日から職場復帰と決める。

で、今日、23日水曜日。
咽頭炎5日目。
痰がらみの咳もそろそろ収まりそう。
今朝のおめざは
★佐賀嬉野の和紅茶店「紅葉(くれは)」しょうが紅茶
★浅田飴

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2019年01月01日 (火) | 編集 |
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幸四郎
六輔
七海
九十
万里
薫@千太組

2018年12月31日 (月) | 編集 |
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みなさま、今年もありがとうございました。
よい年をお迎えください。

幸四郎
六輔
七海
九十
万里
薫@千太組



2018年12月19日 (水) | 編集 |
★Joe Osborn, Wrecking Crew Bassist, Dead at 81 https://www.rollingstone.com/music/music-news/joe-osborn-wrecking-crew-bassist-dead-770008/ @RollingStoneさんから

★「スウィート・スマイル」
https://www.rollingstone.com/music/music-news/joe-osborn-wrecking-crew-bassist-dead-770008/

「Sweet, Sweet Smile」イントロからジョーの特徴的なベースラインが飛び出してきて心躍りながらもとっても安心する。

1989年、ビデオ映画としてリリースされた「カーペンターズ・ストーリー」というシンシア・ギブがカレンを演じた作品があるんだけど、そこにジョーとカーペンターズとの出会いが描かれてます。

ジョーとカーペンターズとの出会いは1966年。ジョーが経営者の一人だった【マジックランプ】というレコード会社にカレンがオーディションを受けにきたことがキッカケ。

彼はカレンの声に惚れ込み、何曲かレコーディングもしたんだけど弱小レーベルだったため宣伝もままならず、残念ながら話題になることはありませんでした。

その後【マジックランプ】は倒産してしまうのですが、ジョーはその後もカレンとリチャードにスタジオを自由に使わせてくれていたお陰で、レコード会社へのデモテープも作ることができたし、A&Mとの運命的な出会いにも繋がった。

ジョーはカーペンターズのデビュー当時からベーシストとして彼らを支え続け、カーペンターズサウンドの支柱的存在だった。

Joeのベース音はすごく特徴的で、聞いてすぐ彼のものだと分かります。POPS曲のベースはただひたすら低音を支え続けているものが多いと思いますが彼のベースは違います。グリスやスライドを多用し、高音域をうまく使った独特の演奏を聞かせてくれるのです。まさにJoe Osborn節とでも言いましょうか、世界中で彼にしか出せないサウンドだと思います!

カレンのソロアルバムと カーペンターズのアルバムLovelines 両方に収録されている 「If I had you」 という曲を聞き比べて下さい。LovelinesバージョンがJoeによるものですが ここまで違うか? と感じることでしょう。(ソロアルバムバージョンもかなり有名な方が担当しているんですけどね)

ジョー・オズボーン 
ジョー…カーペンターズの生みの親。カーペンターズサウンドの大黒柱。今日まで本当にありがとうございました!安らかに。
 

2018年12月13日 (木) | 編集 |
嫌なことばかり続く今日この頃。
こういう時は仕事部屋から抜け出して、
リビングのいい機材でカーペンターズの「新譜」を聴こう。
いい音とお気に入りの音楽こそ良薬。

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