薫の野郎猫的日常
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2017年03月11日 (土) | 編集 |
DSCF1499.jpg 
6回目の311。

我が家もcandle灯しました。






2017年03月11日 (土) | 編集 |
それどころか、もっとひどくなっている…

猫キャンドル 
そんな気がする。

他はどこも1ミリシーベルトなのに?

なのにどうして福島だけ20ミリシーベルト?

なにが担保?

人の命?

子供の命?

帰還者優先で昇進を約束する被災地の自治体。

帰る、帰らないは個人の自由でしょ?

わけわかんない。

2020年の東京五輪って復興五輪じゃなかったっけ?

なのにどこが復興?

どこが被災地支援?

わけわかんない。

安倍さん、節目越えたからと会見打ち切り?

誰が決めたの、節目?

何も解決してないんじゃないの?

アンダーコントロールもしてないでしょ?

わけわかんない。

ホントに

わけわかんないよ。


それでも6年。

熊本も今年の春で1年。

CIMG1945.jpg     
「千太地蔵」とともに
ただただ、心やすかれと、祈ります。



2016年10月15日 (土) | 編集 |
全身癌の樹木希林のナレーションが淡々としてて好いのです。

福島県広野町
高野病院 高野英男院長81歳
高野医師81歳  

震災が起きるまで6つの病院があった。
が、
震災後、
近隣でただひとつ開業している病院。

震災と原発で全村避難した広野町の中で唯一避難しなかった。

「当時は非難轟轟だったけど、医師として考えたとき、
あそこで患者を避難させたら必ず死人が出るから。
だから残った」

「10年。あの震災から5年経ったから、あと5年。
10年経ってここが元に戻るかどうか。」

医者の不養生。

不眠不休。

たばこを吸う。

今年になって足に来た。

体が言うことを聞かなくなってきた。

ふらつく。

椅子に座ろうとして転倒。

革張りの大き目の回転椅子。

いくらなんでもあの椅子はもうまずいだろう。

恐らく昨年までは何の問題もなく座れていたのだろうけど。

体の自由が利かなくなった親を預ける避難家族。

「今までいくつもの病院に移った。
普通3か月で追い出されるけど、
ここだけだよ、何年もいられるのは」

今問題になっている神奈川の大口病院もこのタイプ。
昔は多く存在していた所謂「老人病院」。

元気になって退院する人もいるが、
ここで亡くなる人も少なくはない。

認知症や徘徊老人もいる。
寝たきりの人もいる。
101歳の人もいる。

高野病院は高齢者の最後の砦。

そして今は原発関連の人々が運ばれてくる。
スズメバチに刺された、
除染作業終了後、帰宅し入浴しようとして熱中症で倒れた等。

原発事故のため病院職員のドクターや看護師がどんどん辞めて、
常勤医師は81歳の高野院長のみ。
あとは非常勤ドクターでシフトを回していく。
常勤看護師も足りているとは言えない。

なのに、県は見て見ぬふり。
「ネグレクト」だと高野院長の娘の医療事務長が苦笑する。

こんな状態なのに帰還者を募る県。
町に必要なショッピングセンターや医療が不足している。
だから帰りたくても帰れない。
悪循環。

高野医師が倒れてしまったらこの病院はどうなるのか。

そんな不安やジレンマももちろん感じさせるけど、
私はそれよりなにより、
この老医師の心意気というか、
「体は死すとも魂死なず」を地で行くこの医師の覚悟を感じ、
清涼感というか清々しささえ感じてしまった次第。

老いてはいても眼が少年のようだ。
患者や医療を語る姿はれっきとした現役の臨床医。

こんな医者のいる病院で最期の時を刻む患者たちは幸せだ。



【ETV特集】
「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」
(Eテレ・2016/10/8放送の再放送10/15視聴)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

【あらすじ】

・毎朝6時半きっかり。ログハウスから出てきた男性が向かう先は隣にある病院。高野英男さん(81)は、この病院の院長で今も100人の入院患者を診て回る。お相手は平均84歳、みんな長い付き合いだ。
・高野病院を取り巻く環境を大きく変えたのは、5年前の原発事故だった。病院は原発から南に22kmの場所、双葉郡広野町にある。ここが、この地域で診療を続けるただ一つの病院となった。
・他の病院が休止しているため、救急車が次から次へとやって来るようになった。復興作業に携わる「新たな住民」、居場所を失ったお年寄り、病院はその最後の砦だ。
災害後ここに残って、双葉地域の医療を実際的にやっているのはここだけでしょ。総合的に診られるっていうのは私しかいないですから(高野病院の高野英男院長)
・この5年半、一人踏ん張ってきた老医師。その日々を見つめる。

<福島第一原発のある双葉郡で唯一診察を続けている病院>
・36年前に広野町に根を下ろし診療を行っている高野院長。専門は精神科だが、地域の人たちのあらゆる声に応えてきた。今も注射やレントゲン撮影を自ら行う。馴染みの患者さん、痛みも苦しみも知っている。
ここの外来は昔からの農村ですから、肩とか膝とか腰とかペインクリニック(痛みの緩和)みたいなの多いんですよ。だから本当に何でもやるようになってしまうわけですね(高野院長)
・院長がいつも座る席、後ろに何か書いてある。
これ災害が起きた日です。なんとなく消さないで、そのままです。ちょっと惜しいような、消すのはですね(同上)
・思えば、あの日から何もかも一変した。事故によって原発周辺の町に避難の指示が出された。その中でいち早く戻ってきたのが病院のある広野町だった。続いて少しずつ避難指示は解除されていったが、双葉郡に6つあった病院のうち5つが今も閉鎖されたままだ(20床以上の医療機関)。高野病院だけが診察を続けてきた。
・「復興の前線基地」と呼ばれる広野町。早朝、原発に向かう国道は出勤する作業員の車で埋め尽くされる。この地域で除染などを行う作業員は約2万6000人。広野町で暮らす作業員の数は住民を上回っている。作業員が急増した町で、高野病院はこれまでにない対応に追われている。
・原発事故前まで殆ど受け入れていなかった救急搬送、今は院長を支える非常勤の医師を中心に対応している。作業員宿舎から来た2人の男性、大事には至らなかった。
・隣町の宿舎で嘔吐して倒れたという作業員、熱中症だった。炎天下、マスクをつけて長時間働いていた。症状が重いことから双葉郡の外にある大きな病院に転送することになった。
・住民の方々も深刻な体調不良を訴えている。環境の変化によるストレスが心と体をむしばんでいた。避難生活を続けてきた男性、物忘れがひどくなっていることに不安を感じていた。震災後、脳梗塞やうつに苦しむ住民が増えているそうだ。
・避難生活に耐え切れなくなった人たちもいる。他の病院が休止しているため請け負うことになった死体の検案。死因の半数が自殺。立ち入りが制限される自宅に戻り、命を絶つ人が後を絶たない。震災と原発事故が影響したとみられる自殺。その数は福島県で85人に上る。
完全に自分が大事にしたものがなくなる。いわゆる私らの言葉で言えば“喪失体験”というんですけども、それが自殺の引き金になって、それで不幸にして死なれると。辛いですよ、本当に(同上)

<81歳の院長、盆も正月もなく働いてきた>
・毎週水曜日は院長が入院患者を診て回る日。早朝、91歳の入院患者が院長を待ち構えていた。
今日水曜日だから必ず朝、オロナミンCドリンクと煎餅1枚賄賂に持ってくるんです。今の時間、欠かしたことないんです(高野院長)
先生にご苦労ってやっているわけ。どうしてって聞かれても、これはね私の気持ちだから(入院患者の女性)
・回診の時間。この夏、内科に60人、精神科に48人が入院していた。他の病院が休止しているため、いつもいっぱい。患者さんに比べれば院長はまだまだ若いはず。
・原発事故後、最も必要とされているのが、こうした入院患者の受け入れだという。
あの地震のときが行くところなくて、あっち行ってこっち行って、よその病院は3か月で追い出されるから。ここだけだよ、何年もいれるの(入院患者)
なんせ私らは幸せです。先生が優しいから、みんな優しくなれるんだね(別の入院患者)
・優しい先生はこの5年、盆も正月もなく働いてきた。
あくまでも相手があるから、臨床医としての仕事をしていると、それだけのことじゃないですかね。やっぱり人が好きなんですよ。専門は何かと言われると本来は精神科医ですけども、いろんなことを勉強してきましたから、いわゆるヒト科です。人間(高野院長)

<患者に寄り添うことを理念に長間続けてきた病院>
・病院の歴史は36年前に始まる。医療空白地だったこの地域を支えたいという思いからだった。目指したのは、地域の人たちに必要とされる病院。何よりも患者に寄り添うことを理念に掲げていた。
・未曽有の大災害に襲われた5年前、「患者に寄り添う」というその理念が問われることになった。全町避難を呼びかけた広野町、町から人が居なくなった。このとき入院患者101名を避難させるか留まらせるか、難しい判断を迫られた。
・当時の状況を記録したメモ。県の医療チームや警察などから患者を全員避難させるように何度も迫られた。しかし院長は患者たちの容体を見て、病院に留まるという判断を変えなかった。
いったん自分が診ている患者さんたちが、たとえば搬送によって容体が変わると、あるいは亡くなられるかもしれない。そういう予測はすっかり立ってますから、だから外からは非難轟々だったですけど避難しないと。臨床医としての私の勝手かも知れませんけども(高野院長)
・その結果、病院に留まった患者は一人も亡くならなかった。
・しかし原発事故は深刻な爪痕を残した。避難のため職員の退職が相次ぎ、33人いた看護師が5人にまで減ってしまった。
・さらに大きな打撃となったのは、当時もう一人いた常勤の医師の退職だった。ただ一人、常勤の医師となった院長の負担が格段に重くなった。去年は夜間の救急に対応する当直を年130回も務めてきた。81歳になった今年、急激に体調が悪化している。
・回診の後の午後、看護師から報告を聞く時間だが院長の姿がない。10分後、寝過ごしていたようだ。本来、時間に厳しい院長。今年に入るまでこうしたことはなかった。
(お疲れですか、回診の日は?)
回診は疲れます。本当この5年は疲れましたよ。歩くとき時々よろけたりする。あれは今年5年たってからですよ、急に。ああって、もちろん年齢も年齢ですけどね、当たり前なんでしょうけど。それまでは平気で動いていたわけですから(高野院長)
・高野院長の娘・己保さん、病院の事務長だ。今年に入って当直を月2回まで減らすなど負担を軽くしようと努めている。掃除や洗濯など、一人で暮らす院長の身の回りの世話も引き受けてきた。
・己保さんは物心ついたときから、父と暮らした記憶がない。家族より患者、あくまで医師として生きる姿。それが父だった。
そこまで医者として生きようと思わせるものが一体何だったろうなというのを見てみたいなと思って。やっぱり最後まで医者としての人生を全うさせてあげたいなというのが、今の私の目標でもあるんですね。なかなか厳しいんですけども、常勤のドクターが1人でもいいから来てもらえないかなっていうところで、手を尽くしているところですかね(己保さん)
・現在は病院が独自に集めた9人の非常勤の医師に救急や当直などを日替わりで任せている。今も求人を続けている。苦境を知って来てくれる看護師なども現れた。
今年の4月11日からです。もし何か私でもできることがあったらという感じですかね(看護師)
私は2年前です。人も足りないということで働きたいなと思ってここにしました(別の看護師)
(2014年)8月からここで働いています。あんなすごい大きな災害が同じ日本で起きたのに、それまで札幌に住んでましたけど、全然関わるようなことをしてなかったですし。時間たってきて自分何やってるのかなみたいな感じもあって、こっちに来ることを考えるようになったという感じですね(別の看護師)

<若い住民が戻ってこない町、その一方で高齢者の行き場が…>
・震災の翌年から再開した広野町の花火大会。今年は震災後、最も多い6000人が参加。若い人たちの姿も数多く見られた。しかしその多くは一時的な立ち寄り。
もともと楢葉(隣町)です。お墓参りに行ってきたので今、その帰りに寄りました(若い夫婦)
避難している。いわきにいて、いわきからこっちに来てる(別の夫婦)
(将来、広野に戻ってくるお考えは?)
今のところはまだ考えてないですけど(同上)
・住民が戻ってこないのは、放射線への不安だけが理由ではない。コミュニティーが壊れ、買い物など生活する環境が整わないことも帰還を躊躇させている。
・一方で、家族では支えられないお年寄りがふるさとの病院に帰っている。病院内を徘徊する入院患者。
(認知症の患者さんですか?)
認知症(看護師)
(夜の消灯後も歩かれたり?)
そう(同上)

<病院の状況を行政に訴えても…>
・この日、病院を訪れたのは医療計画を取りまとめている県の幹部。今後の体制について現場の意見を聞きに来た。住民の帰還が見通せないとして、病院への支援は遅れていた。院長は診察があるため、話し合いを途中で退席。事務長は福島県立医大から常勤の医師を派遣してもらえないかと訴えた。医師の派遣について県からは病院が独自に交渉してほしいと言われたという。
課長「自分は人を納得させるのは苦手なものですから、なかなか(医師の派遣は)うまくいかなくて」なんておっしゃって「むしろそちら(高野病院)からお話を通してもらった方が自分通すより全然早いと思いますよ」なんて。課長にはお話したんですけども、結局ある意味ネグレクトのようだと。皆さん(国・県)ここ(双葉郡)の現状は分かっていらっしゃる。ただそれがどうしていいか、まだ分からない状態のまま来てしまっている。まだ何も描けない状態が続いているのが今のここの現状なんですね(己保さん)

<容体が悪化した入院患者にどう向き合うか>
・入院中の患者の容体が悪化した。避難のさなかに倒れ、病院を転々としてきた女性。近頃、おしっこの量が減って体がむくんできたため、確認することにした。肺に水が溜り呼吸しづらい状態になっていた。
・家族に連絡を取るよう指示を出す。高齢患者を受け入れる高野病院では、最期の時間に立ち会うことも少なくない。
もしご家族の方とか親族の方とかですね、面会しておくのであれば今のうちに面会していただいた方がいいかなという状態なんです。ちょっと確認なんですけども、呼吸が止まったとか心臓が止まったときに、口から管を入れて呼吸させるとか心臓マッサージをするとか、そういう処置は高野病院ではあまり行わないようにしているんですけども、自然に見送るという形でよろしいですか(電話する看護師)
・2時間後、隣町に住む娘が仕事を抜けて駆けつけた。家族の承諾を得て胸水を抜くことに。水を抜き過ぎると状態が悪くなることもある。
よくなりました。少し楽になったような、呼吸の仕方が。病院に入れてもらったからよかったです。先生もご高齢だからしゃべるのも丁寧で小さい声で聞き取りにくいんですけど、頑張ってますよね(家族の女性)
私はその患者さんのいわゆる「生きたい」という「生きていきたい」と。こういう体になっても「生きていきたい」という。患者さんが瞬き一つにしろ、仕草の一つ一つについて生きているんだなということを感じとってあげると、それをこちら側が感じとって、それで治療するという。やっぱり命というものをどんな風に重く見るか大事にするかじゃないですか。大事にするかという(高野院長)
・水曜日、院長回診の日。肺に水が溜まっていた女性の容体は悪化していた。
(胸水が)とれればいいんだけどね。なんとも出来ないな(高野院長)
・心臓に近い左側の肺から水を抜くことが難しく、手の施しようがなくなっていた。

<院長のこれから先への思いは>
・命の輝きと厳しさを見つめ続けてきた日々。震災後、この病院で退院した患者は289人。命を全うした患者は170人に上る。
本当はもっと早く引退したいんですけども、この災害から今までの現状をみると、これはもう一種の義務感みたいなものが加わりましたね。義務感といえば大げさですけども、体が動くまでやらざるを得ないのではないかと。ただ10年くらいはまだできるだろうと、そう思っているだけですよ。災害から5年でしょ、あと10年たたないと、この地域は元に戻るか分かりませんからね(同上)

2016年03月11日 (金) | 編集 |
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122.jpg
  
覚えてますか?
2011年3月11日の大津波の中
屋根犬20110402午後5時 
漂流22日目に保護された「屋根犬」のこと。
o0333050011141395513.jpg 
2011年4月1日付の拙ブログでも書いたことがあります。
「311 pet rescue Part2(追記あり) 」
⇒ 
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1145.html

保護されてすぐ、4月4日に飼い主さんと喜びの再会を果たし、
「バン」という2歳の女の子だということもわかり、
5年経った今でも幸せに暮らしていると思ってました。

が・・・

※宮城
ありがとう心の支え 津波「漂流犬」天国へ
河北新報 2015年11月02日 月曜日
http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151102_13013.html

1昨年の2014年1月、亡くなってました。

それも事故で…

津波からの生還の時2歳だったから、

亡くなった時は5歳にもなっていない頃。

死ぬには若すぎる!


これから書くことで
もし気分を悪くしたらごめんなさい。

でも私はこの記事を読んでしまったことを悔いました。

読むんじゃなかった。

だって…

嫌なんだもん、この記事!

美談にしちゃいかんだろ!

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「屋根犬」として当時、全国波で毎日報道され続けた、この子。
※【動画】海上ガレキ漂流後奇跡生還犬:「飼い主と再会できたバンちゃん」
https://youtu.be/ZZaMbI1WVSY @YouTubeさんから
o0384021611145490330.jpg
神様から守られて飼い主の元へ帰ってきたのに
※【動画】3週間漂流犬飼い主と再会。 https://youtu.be/YxZQBU_-Mi4 @YouTubeさんから

再会の時、最上級の愛情を示していたバン。

なのに、そのバンが無残な最期を迎えたというのにまるで他人事のような言い草。

お前のせいでバンは死んだんだよ!

お前が適切な飼い方してないから!!


この犬は飼い主から殺されたようなものですよ。

外で放し飼いしてたんでしょ?

たとえ復興事業の車両が昼夜構わずひっきりなしに通る道沿いにお宅があるとしても

リードなしの放し飼いでなきゃこんな事故には遭わないものね。


この飼い主には二度と動物は飼ってほしくない(もう次の子飼い始めたようですが)。

せめて今度こそ、行政主導で講習か何か強制的に受けてもらって、適切な飼養方法をしっかり学んでいただいた上で、次の犬を飼っていただきたかったですね。

でなきゃまた同じ間違いを繰り返すだけじゃないですか。

こんな飼い主じゃ、バンがあんな不幸な亡くなり方したのに
その後たった1年で飼われることになった柴犬だってバンと同じ目に遭わせてしまう危険性大ですよ。

たとえ寂しかろうと(該当記事はすでに消えてたけど、新しい犬を飼った理由は寂しかったから!)
バンをあんなひどい目に遭わせておいてよくもまぁたった1年で別の犬を飼おうと思えるね。

それもその柴犬、ペットショップで買った1歳弱のまだ子犬らしい!


※東日本大震災で助かった奇跡の「漂流犬」亡くなっていた 
「民家の屋上」で救助された3年後に事故、ネット上で哀悼の声
http://www.j-cast.com/2015/11/02249623.html @jcast_newsさんから

やっぱり放し飼い!!

たとえ震災時に奇跡的に助かったのは鎖に繋いでなかったからだとしても、今度は震災前のような穏やかな自然たっぷりの平穏な頃と違って、復興のためお宅の前を大型車両がひっきりなしに通る環境に変化してるんだからさ、ちょっと考えたら以前と同じ飼い方したら、バンにとってどんな危険なことが起きるかわかりそうなもんでしょ?

折角神様から助けてもらった命なのに
奇跡的に助かった命なのに
あんなに再会を喜んでたのに

せめて生体販売から買った柴犬の子犬が、
バンの分までしっかり長生きして、ご長寿で、天寿を全うできますようにと祈ります。


 検索かけて関連記事を読み漁り、詳細が明らかになるにつれ、この飼い主に益々怒りがこみあげてくる!

全く懲りてないよ、この飼い主!

なのになんで美談に仕立て上げられちゃうの?

どうすればこれが美談になるの?

この国がこんなだから殺処分はなくならないし、

この国に成熟した動物愛護精神は育たないと思います。

今日は、今日だけは静かに穏やかな心で祈りの気持ちでいたかったのに…

あぁ…気分悪い!


※別の参照記事
【訃報】未曾有の大災害 東日本大震災を生き抜いた『漂流犬・バンちゃん』復興事業関連の車両にはねられ・・・・(涙)【事故】 - 『徒然と』・・・道楽 http://blog.livedoor.jp/dourakukousuke/archives/1094278.html


種は違えどうちにも同じ名前の猫がいるんでね
他人事とは思えなくって。

だからね、あまりに悲しい最期だったから私、バンのためにお話を書きました。
だってこのままじゃ、あまりにバンが可愛そう過ぎる!!

「バンに捧ぐ」

バンはね、本当はね津波に呑まれてあの時もう死んでたの。
だけど、死ぬ間際、朦朧とした意識の中で必死に神様にお願いをしたの。
「神様、お願いです。このまま死にたくない。もう一度だけ飼い主に会わせてください。」
神様もバンを可哀そうだと思し召し、願いを聞き届けてくれました。
一つ条件付きで。
「バン、お前はすでに死んでおる。だから長くこの地上にはおられぬぞ。
そして、この世を去ったものが再度死ぬのだから、それなりの別れ方をせねばならぬ。
今より辛く苦しい思いをせねばならぬがそれでも良いか?」
バンは神様からの条件を飲みました。
そして再び期限付きの命をもらってあのがれきの上に立ち、助けを待ったのです。
だからこそ私たちが首をかしげ、奇跡と呼ぶほど傷一つなく、あんなに元気だったのですよ。
そのあとのことは報道で伝えられた通り。
バンは飼い主夫婦とともに幸せな暮らしを取り戻しました。
が、その幸せは長くは続かなかった。
もちろんそれは神様との約束通り。
飼い主は無意識のうちにバンを震災前と同じ放し飼いにしました。
バンを取り巻く環境が以前と全く違い、
どんなに家の前を昼夜問わず大型車の往来が激しくても。
それは神様が彼らにさせたこと。
「バン、時は満ちた。別れの時だ。」
バンは夜中、飼い主夫婦が眠りについたのを確認し、
柵を超え道路に出て、
近づいてくる車の前に身を投げ出しました。
これもまた神様との約束通り。
津波に呑まれて息絶えたときよりも苦痛を伴う最期。
でもバンは幸せでした。
だって願いが叶ってもう一度、愛する飼い主と再会し、共に暮らせたんですもの。
それがどんなに短い間であっても。
再び巡り会って3年も暮せなかったけど。
この歳月は「おまけ」でしかなかったけど。
でもバンは幸せでした。
こんなつらい最期でも、バンは幸せでした。
今もバンは虹の橋のたもとで幸せそう。
飼い主とまた再会するまで
バンはいい子で待ってます。

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バン、安らかに❤






2016年03月11日 (金) | 編集 |

福島出身の全員歯科医師Greeeen、リーダーのhideさん。
歯科医として身元確認に従事した時のニュースです。

補足ですが番組では検死という言葉を使っていますが、これは誤用で、
もし使用するとしたら「検視」をされていたという表現が当てはまります。
歯形で身元確認を特定するという作業をしておられましたから。
マスコミには今年が5年を迎えるのを節目として応じられたそうです。

「あの時を忘れない」

「あの時を風化させない」

「あの時、
ご自身の被爆など全く気にせず
ご遺体をご家族に会わせたい一心で活動していた
警察官、自衛隊、消防団のことを忘れない」

そんな気持ちで取材に応じたHIDEさん。

言葉が出ません。

言葉はいらない。

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今年もまたキャンドルを灯して静かに祈ります。



2016年03月09日 (水) | 編集 |
テレメンタリー2016 その時テレビは逃げた 黙殺されたSOS 3月7日
https://youtu.be/Hz3Y5Zb93Zc  @YouTubeさんから



311が近づくと各局特別番組を揃って放送し始める。
年を追うごとに徐々にではあるけれど深く掘り下げ、
これまで固く口を閉ざしてきたことを語り始めたような…
徐々にではあるが明らかにし始めた内容のモノが増えてきたような…

そして
今年もまた…

7日のTV朝日夜中2時過ぎから放送されたドキュメンタリーがなかなか見応えがあった。



津田大介
‏@tsuda 
昨日の深夜テレ朝系列でやってた311直後の原発報道の自己検証番組が良かった。
当時はテレ朝に限らず全国紙も在京キー局も60~80kmの基準作って記者立ち入らせなかったし、それを国民に知らせず黙っていた
http://npx.me/g7te/Biex  #NewsPicks


このドキュメンタリーを観て違和感が。
放送ではすべてのテレビが圏内から出てしまったように伝えてますが。

薫@千太組:今でも覚えてます。
あの時、テレビが逃げた後、唯一、区域内に入ってカメラを回し続けたのが山路徹(@yamajitoru )氏率いるAPF通信でしたね。

‏@yamajitoru 山路 徹氏からのレス
英BBC、米ABC、仏2ほか海外メディアにしか映像配信出来ず辛かったです。
コンプライアンスや安全基準などの問題で日本のメディアには放送してもらえませんでしたからね。
〈コンプライアンス〉と〈報道の使命〉は時に対極です。

薫@千太組:視聴者の一人として本当にジレンマの日々でした。
BSニュース、それも早朝のみの放送でAPFの画像を観た時は何とも言えない感情が迸ったのを覚えています。
「今」の圏内の様子を垣間見ることができて、興奮してSNSで情報を流しました。

‏@yamajitoru 山路 徹氏からのレス
覚えている人がいるだけでも、本当に頑張った甲斐がありました。感謝

薫@千太組:こちらこそ、ありがとうございました。そして今も、これからもずっと、ありがとう!



※この番組を観たある方の書いたブログ記事:THE MUSIC PLANT 日記: テレビ朝日「その時「テレビ」は逃げた〜黙殺されたSOS〜」を観ました
http://themusicplant.blogspot.com/2016/03/sos.html?spref=tw


※今も増え続ける「災害関連死」:首つったおやじ、無駄死にさせたくねえ 福島の農家
:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASJ2N0Q9QJ2KUPQJ00K.html

この農家さんは8日放送のTBS「News23」内の特集で取材を受けた
「震災後、農業を営む男性が自殺、将来を悲観してのこと.
オヤジは言っていた
『ほら見ろ、俺の言ったとおりになった、
人が作ったものは必ず壊れるんだ、
福島の農業はもう終わりだ、
俺はお前(息子)を間違った道に進めてしまった』
父の最後の言葉だった。
「原発再稼働?原発のどこがクリーンで安全なエネルギーなんだ?
バカでねーの!?この国は。情けない国だなぁ!!
誰かが声を上げ続けなきゃ、この国はまた同じ過ちを繰り返す。」
「5年経って怒りだけです、こみ上げてくるのは」
「声を上げ続けるのが俺に課せられた親父からの宿題、
宿命みたいなもんだと思ってます」


猫友さんと同郷のキャベツ農家さんの自死。
衝撃的でした。
原発事故で自死を選んだ農家さんや酪農家の方、
その後は仮設住宅での自死や孤独死…
後を絶たない。

テレビが一斉に逃げ出したあの土地は
今も苦しみと怒りと悲しみを増幅させている。

人も犬も猫も野生動物も木々も草も花も
出口が見えなくて苦しんでる。

いつまで続くの?
いつになったら収束するの?

復旧なしじゃ復興なんて夢のまた夢。

祈るしかできません。
声を上げるしかできません。
見守ることしかできません。

189_wada.jpg  
(作:和田誠)
またあの季節が巡ってまいります。





2015年03月11日 (水) | 編集 |
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福島の事故を機に
ドイツ首相が脱原発に舵を切り
7年目の来日で協働を唱えたのに対し
堂々と再稼働を説いた日本の総理。

復興復興と口ばかり。

被災地はまだまだ
復旧への道のりさえも遠い。

でも今日だけは
この日だけは心鎮め
天国の方々と
この地に留まりて命の糸を紡ぐ方へ
そして
今も彼の地で必死に生きている動物たちへ
思いを致し
心の平安を祈ります。




2014年03月11日 (火) | 編集 |

3年前のこの日から今日までに
失われた命
そして
生まれた命のために
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新入りのトトロも参加して

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輪になって祈ります。



今日は4年目の始まりの日。







2014年03月11日 (火) | 編集 |
2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒

東北の被災地だけじゃない。

この時を機に日本が一変した。

千年に一度の未曾有の大惨事を経験した日本はなにを学んだだろうか?

私は居住地区である東京都世田谷区に災害時ペット同伴避難を根付かせようと活動を始めた。

自宅避難のための備蓄も充実させた。

避難所が同行避難のままなら野郎どもと野宿しようと大きめのバギーとテントも購入した。

でも、私や野郎どもが暮らす環境はどうだろう?

何か変わっただろうか?

変わろうと努力しているだろうか?

ジタバタもがいているだろうか?

過去の教え、先人の言葉を学ぼうとしているだろうか?

あれから3年。

被災地にはまだ完全復旧復興の兆しが見えてこない。

約26万7000人が今なお避難生活を強いられる。

福島にはいまだ取り残された命がおり、世代を繋いでいる。

私は祈る。

ただただ祈る。

願いではない。

祈るのみ。



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我が家における311のシンボル、
福島第一原発の隣の敷地で保護された
八雲の幸せを!!








2014年02月20日 (木) | 編集 |
※昨日付の救援本部プレスリリースです。
なにをどう仰られても「あと出しじゃんけん」でしかないです。
いい訳でしかないと言われても仕方ないです。
ここまで仰るのでしたら、なぜ山路さんのリポートが出る前にアピールされなかったのか。

救援本部立ち上げの頃は、設立の志に心の底から賛同し募金もしてまいりました。
途中からよくない噂を耳にし始めても、それでも信じて支援してまいりました。
が、311発災後に芽生え始めたモヤモヤが何だったのか、あの山路さんの番組が教えてくれました。

★ http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1511.html ブログ:野郎猫集団「千太組」~とてもいいリポートでした!(追記として①番組の動画②動物救援本部のプレスリリースをUPいたしました) ~

動物を命あるものとして考えていないし、「すべての」被災動物を「差別なく」救済してくださる団体ではなかったのですね。旧体制ももちろんですが、インタビューに応じた現本部長の無責任さに怒りすら覚えました。

ここまでのことを仰るのでしたら、是非ともそのことを行動として実証していただけますように。
新体制になったのですから、是非とも斬新な改革を!!





お知らせ・プレスリリース
「今後の救援事業の進め方」について

2014年02月19日
 昨今、緊急災害時動物救援本部について、各種のマスコミ報道がされているところです。しかし、ごく一部の発言や事態のみが恣意的に切り取られて報道されているために、皆さま方に対して緊急災害時動物救援本部の意図や活動が適切な形で伝わらないことが危惧されます。 このようなことから、今般、あらためて緊急災害時動物救援本部の考え方などについて、ご説明・ご報告をさせて頂くことにしました。
  なお、今後の救援事業の進め方などについては、より具体的かつ詳細なものを3月に公表できるように、現地の関係機関と調整中であることを申し添えさせて頂きます。

1 緊急災害時動物救援本部の組織体制について
 昨年の8月、「緊急災害時動物救援本部評価委員会報告書(中間報告)」において指摘された諸課題に対応するために、本部長の交代などを含めて新しい組織体制を発足させました。
  現在、この新たな組織体制のもとで、緊急災害時動物救援本部のより一層の拡充を図るための取り組み方策を検討しているところです。

2 現在、緊急災害時動物救援本部が実施している事業について
 「緊急災害時動物救援本部評価委員会報告書(中間報告)」を踏まえて、「東日本大震災によって被災した飼い主及びペットに関する救援」と「将来に向けた緊急災害時動物救援本部の組織体制や事業内容の見直し」の2種類の事業を、併行して実施・検討しています。詳細については、逐次、ホームページ等において公表していく予定です。

3 緊急災害時動物救援本部において実施中または関係機関と調整中の救援活動について
 東日本大震災が発生してから約3年が経過しました。しかし、未だに福島県などにおいては支援が必要な状況が残されています。このような事態をできるだけ早期に解消するために、関係機関と協同しながら、次の事項に関する支援事業を実施中または実施を予定しているところです。

(1)仮設住宅等で暮らしている飼い主及びペットの救護
(2)全国各地のシェルター等に保護収容された東北3県のペットの救護
(3)福島県の三春シェルター等において保護収容された犬や猫の救護
(4)帰還困難区域等において迷子になっているペットの救護
(5)帰還困難区域等において繁殖した野生の犬や猫等の管理
(6)諸課題に対応するための拠点整備(三春シェルターを活用)

※義援金を使用した救護活動の対象動物について
 帰還困難区域等においては、人が関わらない環境下で野外繁殖した犬や猫(飼い主のもとからはぐれてしまったペットのことではありません)の保護管理が検討課題になっています。これらの犬や猫の保護管理については、関係行政機関や緊急災害時動物救援本部の構成団体である動物愛護団体が、各団体における固有の業務としての保護管理を必要に応じて実施または検討してきているところです。
 緊急災害時動物救援本部としての対応ですが、「被災したペットとその飼い主のための義援金にご協力ください」「被災したペットの飼い主に対する支援のための募集」という呼びかけで義援金を募集していたことを踏まえて、救護の対象とする動物の種類や範囲については慎重に取り扱わなければならないと考えています。
 しかし、このような制約がある中でも緊急災害時動物救援本部として実施できることをできる限り模索するために、人が関わらない環境下で野外繁殖した犬や猫の保護管理についてどのようなことができるのか、また、緊急災害時動物救援本部に代わって緊急災害時動物救援本部の構成団体がその固有業務としてできることはないのか等といったことについて検討を進めているところです。

4 義援金の使途について
 これまでに約7億円の義援金が寄せられました。そのうち、約5億円は現地での救護活動を支援するために支出しましたが、現時点で約2億円が残っています。今後の救護活動に対する支援の計画は前述したとおりですが、これらの事業の実施には多額の費用がかかるため、この約2億円(全額)はその経費に充てるための資金として準備しているものです。
 なお、現地の動物救護本部による活動が困難であった際に緊急避難的に措置した「緊急災害時動物救援本部が主体となって個別に全国の各愛護団体等に直接交付する」といった方式による救護活動の実施は、その効率性の確保や組織的・統一的な実施が困難になるおそれがあることから見合わせることとしています。
 今後は、「緊急災害時動物救援本部評価委員会報告書(中間報告)」を踏まえ、現地の動物救援本部や関係行政機関と調整をしながらより効率的・効果的と考えられる救援方法を検討し、緊急災害時動物救援本部及び関係団体が連携・協力しながら救援活動を行うことにしています。

5 その他
(1)投資信託について
 約7年前、緊急災害時動物救援本部は、阪神淡路大震災動物救援本部から寄贈された活動資金の一部(約3千万円)を投資信託に回しました。これは、当時の関係者に対してヒアリング調査を行ったところ、今後の救援活動に充てることができる資金を少しでも増やしたいという意図で実施したものであるとのことでした。
 しかし、現在の緊急災害時動物救援本部の新体制においては、今後は、寄せられた義援金を含めて、緊急災害時動物救援本部の資金を投資信託によって管理しないことを決定・確認しています。
なお、この投資信託による損失は、昨今の株価の上昇等に伴い、縮小または若干の利益が出るまでになっていますが、株価等の動向を見ながら、適切な時期に現金化するための準備を金融機関と行っているところです。

(2)緊急災害時動物救援本部の組織体制及び事業の拡充について
 「緊急災害時動物救援本部評価委員会報告書(中間報告)」の提言を踏まえ、次の事項についての検討を進めているところです。

①救護の理念や方法の確立に向けた調査研究の推進
②発災時の救護活動や平時からの普及啓発活動に専念できる体制の強化・拡充
③各都道府県における救護担当行政機関や関係獣医師・動物愛護団体との平時からの連携の強化
④首都直下型地震や南海トラフ巨大地震等への対応に関する適切な準備
⑤国が策定した「被災動物の救護対策ガイドライン」(環境省動物愛護管理室)との整合性のある救護のあり方の検討


<最後に>
 末文になりますが、今回の震災により、ご家族等をなくされた方々に対して哀悼の意を表しますとともに、被害を受けられた方々に対してお悔やみの言葉を申し上げます。
 また、かけがえのない伴侶であったペットを失われた方々に対しても、心からのお見舞いを申し上げさせて頂くとともに、被災した飼い主やペット等の救護活動に対して義援金を寄せて頂いた方々、献身的に保護活動を行われている方々に対しまして、あらためて感謝の言葉を述べさせて頂きます。